8/31 「エモい」は人生の敵

エモさに身を任せて書いた自分の文章が嫌いだ。

エモい、という言葉が嫌いだった、というか今もそんなに好きじゃないから、皮肉を込めて「エモ〜」と言う(時のが多い)。それか、何も考えていないか。

性格がお悪いようで。

エモさに身を任せて文章を書く時、わたしは理性を失っている。エモいを探す獣の様に、エモいの糸を探り、「あっ!エモいいた!」とまっくろくろすけを見つけたメイのようにはしゃいでいる。

8/30 わたしの、青春群像劇(ダイジェストでお届け)なんてそれの最たるものだ。
文章には、多少のユーモアがなくちゃいけない。(もしくは圧倒的な読ませる才能)
わたしは、わたしの文章が好きだし、わたしの文章を好きだと言ってくれる人はいるけど、才能はないと思う。というか、才能あったらもう既にどっかの出版社の新人賞受かってるやろ。

でも、書かないと生きていけない。
なんか知らんけど、文章を書いてる時だけ結構自分なんだ。だから、毎日毎日、駄文を生み出しては誰かに消費してもらっている。
ありがとね、読んでくれて。

今は、司法書士の勉強をしていて、法律と文章なんて正反対のような生活をしている。(正反対ではないか、)
けどまあ、法律のほうがなんかちょっとまだ出来るから(あんなん覚えるだけだし)(まあその覚えるだけの試験に1度落ちてるからカスなんですけど)、文章を書くより法律の勉強してた方がメンタルは安定する。
うぜー、とは毎秒思うけど。

なんかほんとに、わたしのエモいは、紛い物のような気がして、ほんとにキモい。
素直だから(かわいい)、後々「エモ求めてるやん!キショ!」と反省する。

まあそれでも、結構まだ自分の文章は好き。
ウケるな。ウケるってゅったら全部ゆるされるんだょ💖
と心の中のギャルが言ってた。
わたしは心の中に男子中学生(これはわりと否定されたので辛い)と、ギャル、そしてメンヘラ女を飼っていて、そいつらがたまに顔を覗かせる。まあこんなのはどうでもいい。

仮にも、人に読んでもらうための文章なので、誠実に書きたいよナ。
読みやすくて、読んでもらえるものを書きたいと思っている。
まあわたしは誠実な人間なのでな。(私文なのに代返頼めないくらいには誠実)

エモいは人生の敵❕誠実の敵なのだ❕

「エモい」は、10秒で忘れる感覚、「エモい」で逃げるのをやめたい。「なんか分からんけど、エモかった〜」と、まじでその、なに?書き手として終わりだろ、その感想もらうのは。

エモさに任せて文章を仕上げるのはやめろ❕
とても空虚だからな❕まあ知らんけど。

(とは言え、褒めてもらえるのも、「エモい」という感想を貰えるのも、とても嬉しい。)

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