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私と小夜左文字という刀剣男士

筆者は刀剣乱舞をプレイしている審神者である。
始めて2024年4月現在もう4年が経とうとしている。



始めたきっかけはこの記事にあらかた書いたのでここでは簡単に書くことにする。

2020年夏、日光一文字実装と62振配布をきっかけに刀剣乱舞を始めた。

初期刀は山姥切国広にした。声と直感である。
今となっては生まれ変わってもまた彼を選ぶと思うほどの謎の自信がある、特別な存在である。

私はそれまで、いわゆる成人男性の姿をしたキャラを好きになることが大半だった。とうらぶを始めたきっかけである日光一文字のようなキャラクターは特にタイプである。

そして始めた翌日に62振も受取箱に入っていたため選び放題であったが、まだシステムもよくわからない初心者にどのキャラを出陣させればいいのか全く分からなかったのである。

刀剣乱舞のマップの特性上、1~5面は打刀、太刀、大太刀などが特に重宝される。私の場合何の苦労もなくそれらの刀種がレア含め受取箱に入っていたため、とりあえず初期刀とかろうじて知っていた友人の推しと見た目がタイプだった太刀や打刀を入れて編成し、当時通常マップの経験値が3倍キャンペーン中だったことも手伝って5‐4面、厚樫山まで一週間足らずでクリアすることができた。(この当時の私の第一部隊は、刀剣乱舞を知っている人が見れば全員がこれが初期第一部隊はおかしいというメンバーで構成されていた)

しかし6面は一転、短刀や脇差が優位になる。友人が始めた当初から「短刀の育成をサボらずやれ」というありがたい忠告をしてくれたのにもかかわらず、楽に身を任せそれまで短刀や脇差の育成を怠っていた私は早速詰むことになる。

結局それから2か月近く6面を踏破することはできなかった。
しかしその間に短刀という存在に愛着がわいていたのだと思う。
今となっては短刀をメインに全員推す審神者になっている。
刀剣乱舞は新たな好みを開拓するコンテンツなのかもしれない。

そして6面を踏破することにより修行に出すための要件を満たし、まずは初期刀を修行に出した。
彼を初期刀に選んでよかったと心から思った。
修行から帰ってきたときのあの時の衝撃は忘れられない。

短刀は修行に出すとそれまで付けられる刀装を1つから2つに増やせる(修行前は1つしかつけることができないゆえに耐久力に難があり6面以外のマップで育成するのが難しい)。そのため耐久力が上がるうえに攻撃力も上がるため、先に修行に出すことを勧められた。修行に出せるようになると要件を満たした男士から行きたいといい始める。当時は太刀の修行が実装され始めた頃であったのもあり、修行希望を言い始めた初期刀→短刀といった順番で私は修行に出していった。


3番目に出したのが小夜左文字という短刀である。

https://www.toukenranbu.jp/character/sayosamonji/


彼は2024年4月現在実装されている刀剣男士の中で一番身長が低い(118㎝)。
しかし生存のステータスが高く、敵を絶対殺すという気概を感じられる。
復讐の逸話を持つことから、復讐にとらわれているキャラクターである。
ゲーム内の発言もダウナーな発言が多く、常に復讐する相手を求めている。
ゲームのホーム画面でもプレイヤーに対して決して友好的に話してくるタイプでもない。
(余談であるが、最初私は彼のポニーテールをケモ耳と勘違いしていた)

そんな彼がどんな修行をするのか、私は楽しみだった。

修行の期間は4日間、その間に修行中の男士から3通の手紙が届く。
私が彼の前に修行に出したのは初期刀である山姥切国広と厚藤四郎である。どちらも王道の修行だと思う。
しかし小夜左文字の性格的に修行の結末がどうなるか予想がつかなかったのである。

修行に出して24時間後、最初の手紙が届いた。
ワクワクドキドキして手紙を読み始める。

最初の一行目。最初のひらがな6文字が目に入った瞬間、尊さが天元突破し、天を仰いだ。
3番目に修行に出せるほどであったわけだから、彼はもちろん6面の攻略メンバーに入っていた。多分その時点で私の琴線には触れていたのだろう。
気づかなかったのか、はたまた気づかなかった振りをしていたのか。
1通目の手紙の1行目、私に対しての文面でもう抜け出せない沼にいると確信させられてしまった。

帰還したときの立ち絵の笑顔にも見えるあの表情を見て、彼がどこか乗り越えたのを感じた。それもうれしかった。

結果として小夜左文字というキャラクターを推し始めた私は、そのモデルの刀について片っ端から調べた。

小夜左文字、という号がつけられた理由として2つ候補があるらしい。
・復讐の逸話の舞台が現在の静岡県掛川市の小夜の中山峠であることから。
・元所有者である細川幽斎が西行法師の和歌から

この2つの説がある。

後者の和歌は
’’年たけてまた越ゆべしと思ひきや 命なりけり小夜の中山’’
という歌である。

小夜の中山というのは東海道の難所と知られる峠である。
この和歌の大体の意味はその小夜の中山という難所を年老いてからもまた登れるのは命あるからなのだなあということらしい。
簡単に言えば命あることを、長生きを喜ぶ和歌である。

細川幽斎のもとに来た時には復讐の逸話がすでにあったそうである。
復讐の逸話とこの命あることに感謝し喜ぶ歌、どこか通じない気もする。いまだにどういうつながりがあるのか、気になっている(自分が無理やりつなげようとしているだけかもしれないが)。

私はこの和歌にひどく感銘を受けた。

当時の筆者は人生で一二を争うほど精神的にしんどかった時期だった。
そんな中でこの和歌を知り、自分がもし今死んだらこのように今命あることを喜べるか、と思ったのである。
そしてこの和歌の解釈からは少し外れるかもしれないが、将来自分の死ぬときに後悔したくない、今生きている喜びを感じたいと思ったのである。

正直、小夜左文字に出会わないでいたとしたらあの時期を乗り越えられた気がしない。どこかで道を外れていたかもしれない。今、生きていないかもしれない。
自分のために生きようと思えたのも、自分が立てた困難な目標に立ち向かえるのも、自分の人生に後悔したくないのである。それに気づかせてくれたのは、すべて小夜左文字のおかげである。

刀剣乱舞を始めて4年近くになるが、刀剣男士は全員大好きである。
初期刀の山姥切国広と初鍛刀の信濃藤四郎の2振りはもちろん特別だ。
しかし小夜左文字というキャラは私の中で上記の2振と共にとても特別な存在である。

便宜上最推しと表現しているが、この感情、感覚を表す言葉を私は持ち合わせていない。


小夜左文字というキャラクターと出会い、達成したいことがある。
小夜の中山に登ることである。
絶賛運動不足の筆者が踏破できるかどうかは不安しかないが、行くなら今現在体力が一番あるときに行っておきたいと思う。どうせこのまま体力がなくなっていくばかりなのだから。
プライベートで達成したいことができたことも、五年前の自分が知ったらどう思うだろうか。別人だと思うのかもしれない。


などと真面目に書いておいて普段はとてもここには書けないような発言をしている。
34という数字を見れば自然と笑顔になれる。
3月4日は宴である。
こんなものはまだここに書けるだけマシである。
友人たちの前ではここには書けないことばかり言っている。
おかげで友人に「君にこんな一面があるとは思わなかったよ」と言われた。悪かったな、変態で。

ロッカーの番号が34番で思わず写真を撮る私

最後に。
いつか、人生で一度でいいからモデルとなった刀の本体を見てみたい。
刀剣乱舞がリリースされてから一度、私が始める前に一度展示があったらしい。
何年後になるかわからないが、また展示があると信じている。
その日までは最低でも生きていたい。
刀の本体を見たとき、私は何を思うのだろうか。
今わかるのは、確実に泣き崩れるだろうということだけである。

こうして何年後かわからない日を待ち続けられるのも、小夜左文字と出会ったおかげである。



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