戌年の父は待てができない
昔からそうだった。
食卓が完成するのを待たず、食べ始める人だった。
温まったものから食卓に運ぶと、コース料理のように出てきたものから食べ始める人だった。
数年前に脳梗塞をやってから、顕著になった気もする。
顕著になったと私が思いたいだけかもしれない。
それを理由に納得したいのかもしれない。
父はテレビの前の座卓で食べ、私はテーブルで食べるようになったのは、時間があわないからなのか、父のその癖のせいなのか、今となっては正直わからない。
今日のお昼、私はオムレツを作った。
友人から沖縄のお土産でもらったコンビーフハッシュをオムレツにした。
包むのをしっぱいして、真ん中から具が見えたオムレツだった。
珍しく、母と父と私と、同じタイミングで昼食だったから、取り分け用のスプーンを挿して、食卓に持っていった。
まだ父はテレビを見ながら薬入れをごそごそしていたし、箸はもうすこし後でいいかとキッチンに戻った。
数十秒後、ふとキッチンのカウンター越しに視線を上げると、父はスプーンでオムレツを食べていた。
3人分だから、たまごを4つ使ったオムレツを自分の目の前に置いてスプーンで。
「え、ちょっと」
それ以上は続けず、電子レンジで人肌になった自分の茶碗を急遽取り出して、父の茶碗を600wで50秒あたためた。
その様子を察した母は、小皿に私のオムレツを取り分けた。
そのオムレツだけだと思った?
「順番に持ってくるからね」 聞こえてなかった?
真ん中に置いたのにね。
50秒で温まった茶碗と、もう要らないかなとも思う箸を食卓に運んでから、数秒悩んで人肌に半端に温まったご飯をラップでおにぎりにして、私はパソコンの前にやってきた。
ふたくちだけかじった生ぬるいおにぎりが、どんどん生ぬるさを極めていくのを感じながらキーボードを撫でている。
同じテーブルで食事をする機会が少ないのは父のせいじゃない。
時間とタイミングがあわないせい。
真ん中に置いた大皿を引き寄せて食べてしまったのも父のせいじゃない。
きっと病気をしたせい。
きっと誰のせいでもない。
強いて言うなら、察するだろうわかるだろうと思った私のせい。
「よそ見をしない、手元をよく見なさい」
「お箸と逆の手でお茶碗をおさえなさい」
「テレビの方を見ながら食べない」
小さい頃、口酸っぱく言われたことばかりを思い出す。
私はただ土曜の昼にみんなでオムレツが食べたかった。
取り分けられたオムレツはそっと冷蔵庫にしまわれている。
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