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アルバイトの思い出─高校時代編─

 高校生活3年間の間、1年強はアルバイトをしていた。その頃のことを、できる限り思い出しながら書いてみることにする。これからアルバイトをしたい人、したことのないまま大人になった人には何か参考になるかもしれない。

 2018年10月、高校1年生の秋、お金が欲しいと思った。理由は、中学を卒業してから高校に入るまでの長い春休みの中で、YouTubeのモトブログにハマっていたからだ。つまり、二輪の免許を取ってバイクに乗りたかった。
 しかし、バイトをしようとなってもどうすればいいのかよくわからなかった。とりあえずCMなどで聞いたことのあるタウンワークのアプリをスマホに入れてみた。住んでいる市を指定して適当に検索する。たくさん出てきて決められないので、近所にある小さなチェーン店のスーパーにアプリを通して申し込んでみた。数日後に電話がかかってきて日程や持っていくものについての説明を受けた。

 僕の高校はバイトが禁止だった。しかし、先生の許可があればバイトをしても良いことになっていた。実際、たくさんの人がバイトをしていた。高1の時の担任に「アルバイトをしようと思っています」と伝えると、「経済的に困窮もしていなくて成績も悪いお前はダメだ」と一蹴されてしまった。

 もう面接の日程は決まっていた。

 人生で初めて履歴書を書くことになった。履歴書はダイソーで買った。家に帰ってボールペンで必死に文字を書く。住所を〇-〇〇-〇〇ではなくて〇丁目〇〇番〇〇号と書いたのは、高校受験の願書以来2回目だった。志望理由には飾ったことは書かずに、「趣味に使うお金が欲しいから」と書いた。証明写真も撮らなければならなかった。夜に私服のパーカーで近所の証明写真機に行き、写真を撮った。笑いを堪えるのが大変だった。

 面接の日、雨が降っていたので母親が面接の店舗まで車で送ってくれた。そのスーパーは狭く、17時ごろだったのもあり─17時ごろはレジが大変混む店舗だった─店員がレジで忙しそうにしていた。とりあえずレジの店員さんに面接に来たことを告げたかったが、客の対応に追われているようなので店内を徘徊して待ってみることにした。時間は迫ってくる。結局、面接の予定時間を過ぎてもレジは開かなかった。遅刻が決定してしまった。仕方ないので10分遅れでやっと暇そうになった店員に面接に来たことを告げる。奥に案内されると、女性の店長がすこし苛立った様子で事務室に案内してくれた。
まず遅刻について怒られた。理由を聞かれたので全てを素直に話したら意外とウケたが、社会では通用しないと言われた。これは中2の職場体験で遅刻した時にも言われたが、学校の教科以外の「社会」を知らないのは事実だから仕方がない。履歴書を渡して、学校からアルバイトすることの許可は貰っていると嘘をつく。志望動機などについても軽く聞かれたが、基本的に面接で重視されたのは実際に働くとして何曜日に何時間働けるのかであった。また、とりあえずお金が欲しかったので、別の店舗に行くことになっても良いかや、週2日からokという要件で応募していたので平日1日+土日のどちらか1日*4時間という相手の提示してきた条件を呑むことにした。履歴書の最寄駅の漢字が間違えていることを指摘されたり、終始グダグダであったので落ちるか不安だった。最後に簡単な計算問題─おそらくレジ業務で大きな失敗を起こさないかの確認だろう─を解かされて終わりだった。店長怖かった。

 1週間ほど経った頃、応募先から電話が来た。応募した店舗ではなく別の店舗─ここは高校から近いので同級生や教師に遭遇する危険性が高い─で働けるなら採用ということだった。

 二つ返事で承諾した。


 まず採用に際してさまざまな書類を持っていき、エプロンや軍手、カッターなどの業務に必要なものを貰った。次に研修があるため都内で2, 3番の売り上げを誇るという店舗に研修に行くことになった。

 研修では、他の参加者(おばさん2人と高校生男子1人)と社訓や「いらっしゃいませ!」「ありがとうございました!」のシュプレヒコールをした。社訓のシュプレヒコールは結構シュールだった。〇〇グループの従業員として働く際の心がけのようなものや前述の挨拶から、実際のレジの使い方やケーススタディのようなものを午前中は行った。昼ごはんは近くのすき家でネギ玉牛丼を食べた。午後には実際に売り場に出て教育係と分担してレジ打ちやバーコードの読み取り、カゴに商品を入れるなどの実務を行った。2時間ほどそれをした後で研修室に戻り、教育係から合格判定のようなものが出て晴れてアルバイトのスタート地点に立った。

 予め告げられていた出勤予定日─結局水曜日の17-21と土曜日の15-19に働くことになる─に勤務先の店舗に行く。最初の数ヶ月は研修中の身分であるから、1人でレジを打つことはなく、パートのおばちゃんや管理職の方などが一緒に分担して色々なことを教えてくれた。一切のバイトや買い物の経験がなかったのにスーパーでバイトをしたから、バーコードの位置が分からずに客に手伝ってもらった経験もあるし、商品の場所は全く予想がつかないので聞かれるたびに詰んでいて、またキャベツとレタスの違いがわからなくてレジで困ったりもした。また、高校の先生が来ないかと怯えたりもした。(結局来たが、お互い不干渉のまま客と店員という立場を保ったまま邂逅は終わった)

 1ヶ月=8回*4時間の出勤を済ませればほとんどレジ打ちはできるようになっていた。また、水曜日は基本的に17時からの出勤をしていたが、その時間ではレジの空いた時間に惣菜などの値引シールを自分で作成して貼る仕事─これを「見切り」と呼んだ─もあったが、こちらは少し難しく慣れるのに時間がかかった。1ヶ月もやっていたからレジは1人で回せるようになっていて、カゴからカゴに移すのも随分上手くなっていた。自分の中で綺麗な積み方ができた時は大変気持ちが良かった。当時パズドラにハマっていたから、そのような感覚で商品を積み上げていた。平積みやエルモア式などパズドラのドロップの組み方の知識を応用して気持ちよくなっていた。

 勤務歴が2ヶ月になる頃には、レジだけでなく値引シールの作り方、正しい貼り方や時間もマスターし、さらには店先に売り出している焼き芋の調理まで全てレジに客がいない隙を見計らってできるようになり、一人前の従業員となった。
 3ヶ月目になると研修中の名札が外れた。給料も最低賃金未満から最低賃金になった。この頃からおにぎりやお惣菜、お饅頭などの値引きは全てレジ担当の僕が任されていて、10%〜半額を商品につけてできる限り21時には高い値段で売り切れるよう計算するよう頼まれていた。天気などから逆算して考えるのは楽しかったが、結局客次第なのでおにぎりが大量に残ってしまうこともあった。この権利を悪用して僕の好きな明太子おにぎりを半額にして奥に隠して退勤後に買って帰ったりしていた。この頃からレジは完全に馴染んでいて、一切の思考リソースを割かずともレジの作業ができるようになったため、値引きシールや品出しに精を出していた。

 このバイトにおいて一番の敵は時間だった。そろそろ1時間は経っただろうと思いレジの横に置いてある時計を何度見ても時間が一切進んでいないことが多かった。レジに慣れてしまったせいで頭が暇になり、このバイトで一番大切な、「4時間をやり過ごす」ということが難しくなりつつあった。レジのバイトの本質は何らかの進捗を生むものではなく、ただそこにいて、明日も明後日も変わらず続いていく店の経営を繋ぐことだったからだ。

 土曜日の出勤は水曜日とは少し違い、前半の2時間ではいつも通りレジ業務だったが、後半の2時間では品出しや陳列─これを僕のバイト先では「前陳」と読んだ─をした。品出しは身体を動かして黙々と作業できるので楽しかったし、前陳では入ってすぐの目立つところにある鍋の素やドレッシングを客の購買意欲を削ぐほどに綺麗に並べて怖い店長に褒められたこともあった。

 ここで少し待遇や店に訪れる客について記す。ここ従業員に対する待遇は良く、テスト前などは前もって伝えておけば有給を使用して休ませてくれるし、クレーマーなどが来た時も店長や管理職をブザーで呼べば対応して僕のことを守ってくれた。客に関しては、15〜18時の間は大量に食材を買って行く主婦と現場作業員のような服を着た男性がほとんどを占めていた。この人たちは一切問題がないので楽だった。それ以降、18時過ぎ〜21時の時間は客足が少なく、一人一人が目立つ。毎日同じビールと2Lの水を買っていく男性、通路ではないレジの前を無理矢理通り抜けていき酒だけを買っていく真っ赤な顔のアル中、焼き芋をいつも買っていく眼鏡の賢そうな男性、お金の全てに緑青が生えて全て緑になっているおじいさんなどは、最後の出勤から4年ほどが経った今でも覚えている。特に値引かれた商品を買う人たちは固定化していて、その人たちは大抵時間を把握しているから、レジが少し混んでいて値引きが遅れた時、僕がシールを貼るのを待った人たちが僕の後ろに列をなして僕が勇者のドラクエのようになったこともあった。

 クレーマーや迷惑客ももちろんいた。万引きは店のシステム上楽にできるものだったので無限にいたと思うが、レジなど自分の業務で忙しいので捕まえたりしたことはない。店長が捕まえたことはあるらしいが、その時に立ち会ったことはない。
 クレーマーに話を戻すと、「前はここにこの商品があったとになぜ今はない!」とキレられる程度のことは良くあった。
また、僕のバイト先のレジは機械式なのでお釣りや客の支払った額を間違えることはない。レジに行列ができていて、忙しかったのでわざわざ機械から出たお札をカウントしてあげるという茶番を省略した。すると客が怒り出してカウントしろと言ってくる。素直にカウントして再度渡したが、それでもまだ不満そうでイラついたので、「レジは機械なので間違えることはほとんどありませんよ。寧ろ人間の方が間違える可能性は高いでしょう。実際今数えた結果合ってましたよね?」と言ったら見てすぐにわかるレベルで怒っていた。
他に覚えているのは、大体のスーパーには、買ったものをバッグに詰める場所─これをサッカー台と呼んだ─に無料のビニール袋があり、お肉や魚をそのビニールに入れる。しかし僕のバイト先では野菜・精肉・魚それぞれの売り場にそのビニールが備え付けられていた。客が半ギレでそのビニールがサッカー台にないことを伝えてきたので、それぞれの売り場にあることを使えると「本当に使えない!!!」と言われた。
これらの時の僕は店員さんモードだから「大変申し訳ございません」のような適当なことを言って謝罪したが、いずれも「プライベートモードの僕だったらボコボコにしてたよラッキーだったなお前」という精神で接客していた。
 迷惑客という面では、1月2日に8時間(1時間の休憩が義務付けられているので実際の労働時間は7時間だ)の勤務をした時のことが強く印象に残っている。僕が出勤時に店内にいたお婆さんが僕が出勤して3時間後にもまだ店の中をうろついていたのだ。結局、カゴ2ついっぱいに商品を入れてレジに来たのはそのお婆さんが来店してから推定5時間ほど経った頃で、しかもレジでは「これとこれとこれはやっぱりいらない」などと言ってきた。レジ打ちをしないのは簡単だが、レジ業務を中断してキャンセルされた商品を棚にいちいち戻しに行くのがめんどくさいし、客も待たせてしまう。それに、精肉などの生物(なまもの)は常温で数時間置いておくと傷んでしまうかもしれない。それを戻してはいけない気がした。結局戻したと思う。その後もそのお婆さんは店内を徘徊し続け、ついに僕が帰る時にもまだ店内に居た。

 勤務態度に関する話をする。僕は基本的に応援などで他店舗に行くことや誰かの代わりに出勤することをしなかった。まず基本的にワンオペのアルバイトは孤独と暇との戦いで決して面白いものではなかったからだ。前述の通り、僕にとってバイトはただ4時間をやり過ごすと1時間あたり千円弱のお金がもらえるというだけのものだった。
高校1年生の金銭感覚は中学生と変わらない。数ヶ月に1本ゲームソフトを買えるかどうかのお小遣いで、回転寿司に行くのも一大イベントだった。そんなところに突如バイトを始めて毎月4万弱の収入を得るようになると、さまざまな価値観が変容した。まず、ゲームソフトは大体1出勤とちょっとで購入できるということになる。つまり週2出勤では月に7本は買えるという計算になる。寧ろプレイする時間が足りない。ここで1番大きかったのは、1時間=千円の方式が確立されたことだ。物を見る時に、全て時間単位で計算してしまう。5000円の服を見ると、「5時間か…買いだな。」と考える。これは何でもそうだった。大学入学以降同じアルバイトを3年続けている今でもこの頃と同じ1時間=千円の方式で計算している。バイトしている人としていない人とで金銭感覚が全く違うこの感覚は高校生バイトを経験した者にのみ味わえる特有のものだと思う。
勤務態度に話を戻すと、基本的に店長や管理職など社員とはうまくやれていた。バイト1人が店先に立ってレジ打ちなどをし、社員が裏で発注などをするのが基本様式だったので、他のバイトと共同することはほとんどなかった。そのため他の人間との関わりはそもそもなかった。代理出勤などをしないのも後々になるとよくはたらき、僕が断る前提で相手が頼んでくるようになった。これでさらに断るのが楽になった。同じバイト先の断らない人は、応援の頼みを断ると露骨に嫌な顔をされていたから、期待されるのも当たり前になると意味がないと感じた。当時の僕が他店舗への応援などを承諾すると菓子折りが貰えるほどだった。これを当時の僕はヤンキーが猫を助けると普通の人が猫を助けるよりヤンキーの印象が良くなってしまうというありがちな話になぞらえて「ヤンキーの猫助け理論」と呼んでいた。
 しかし1度だけ他の従業員と険悪な仲になったことがある。その日は確か平日出勤だったが、なぜか自分以外にもパートのおばさんが出勤していた。勤務歴の浅い人がレジを担当することになっていたので、僕がレジに立っていた。すると、中学時代の友達が店に来て「オススメの商品ありますか」などちょっかいを出してきたので店の中で普通に友達として会話した。もちろん、レジに待っている客がいないことは確認してからだ。それでもその様子が気に入らなかったのか同時に出勤していたパートのおばさんが店長にその様子を告げ口し、店長から注意された。
(僕のバイト先では水を人前で飲むのが禁止で、レジ担当の人はほとんど4時間そこを離れられないからおかしいと感じていた。その理由を聞いてみると、レジの店員が水を飲んでいる時に、「給与を貰っているのに休むとは何事だ!」という客からクレームが入ったかららしかった。なるほど、その程度のことでクレームが入るようでは客と店員が仲良さそうに話しているのもクレーム対象になりそうだと思い、僕に注意しなくてはならなかった店長に同情する。告げ口したおばさんは知らないが。)

 働き出して数ヶ月が経った頃、貯金されていくペース的に高校生のうちにバイク+免許レベルのお金を貯めるにはもっとシフトを増やさなければいけないと気がついた。前述の通りバイトは大変で楽しくもなかったからそれは嫌だと思い、友達との再会などもあって結局バイクではなく競技用自転車を購入することになるのだが、詳しくは昔書いた記事→惰性が一番怖いを参照。ちなみにこの時買った自転車は17万8000円で、保険やヘルメット、空気入れを足したら20万近くなったが普通に貯金で支払えた。
 この頃からお金より時間が大切だという考えが僕の中で主流になってきた。というのも、中学生の頃は時間がお金になるという意識が一切なく、遊戯王カードを何時間もかけて仕分けてメルカリで売るという、時給換算したら300円にもならなそうなことを平気でやっていた。しかし、高校生になりバイトを始めたことにより1時間=千円の法則が確立してしまった以上、そのようなことはもうできなくなり、時間は金にも金以外の楽しみなどにもなる万能リソースとして考えるようになった。バイトのせいでサイクリングに行けないのが最も嫌で、お金より趣味の時間が必要だと思った。結局、週2契約でバイトを始めたのにも関わらず土曜日のバイトをなくしてもらって水曜日のみの週1にした。

 他にも棚卸しという全ての商品の数を数える従業員全員出勤のイベントや店長の交代など色々あったが、特別印象に残っていることは少ない。数少ない印象に残っていることは面接の時に話した1人目の店長が棚卸しの終わった時に千円札をくれた事くらいだろうか。

 週1のみのバイトでも平日毎日学校に通っている高校生からしたら収入としては十分で、高校時代に自転車には結局40万円近く使ったと考えられるし、金銭的に困窮したことは一切なかった。1週間に1日、4時間耐えるだけで欲しいもの大体買えるというのは良いものだったように思える。

 高2の終盤、秋頃には自転車にあまり乗らなくなったこともあってかお金が余ってきて、こっちが4000円払うからバイトを休みたいと思うようになった。その瞬間、バイトを辞めることを決めた。もうこの頃には、たった週1のバイトだが4時間耐えるのが怠く、前日に映画やアニメを観て、それについて考えることで何とか凌いでいた。バイトを辞めるのは通常数ヶ月前に言う必要があったので早めに言った。ここで言えない人やまだ辞めないでと言われる人が多いらしいが、僕は高校生だったので適当な嘘をついで解決した。「受験のために予備校に入らなくてはいけなくなったので数ヶ月後には退職します」と伝えると普通に通った。
ちなみに予備校には人生で一度も通ったことはない。それから辞めるまでの3ヶ月間は、きたる高3の無職期間に向けて貯金をしようと思った。すると、たくさん出勤する必要があるから代理出勤の依頼や応援などを全て承諾した。今までの態度から一変して承諾したので、頼んできた人たちは皆喜び笑顔になっていた。先ほど記した、僕が友達と話していたことを店長に告げ口したパートのおばさんが怪我をしてしまい1ヶ月出れないという話があった時、代わりに1ヶ月間出勤したのも僕だった。結局この人は菓子折りと一緒にお礼を言いにきて、僕も笑顔で受け答え円満な関係で終わることができた。

 最後の出勤日には、1年以上水曜の夜に会ってきた常連客に「もう今日で最後なんです…」と話したり、夜勤の人と引き継ぎをする時に昔水曜日担当だった人が会いにきてくれたりした。長いこと(高校生にとって1年強という時間は大変長い)よくしてくれた店長と管理職の人にも「〇〇くん本当にありがとう」と言われた。最後の数カ月間精力的に出勤して良かったと思えた。ちゃんと制服のエプロンや軍手、カッターなど最初に貸し出されたものを返して帰る。預金は10万円ほどになっていた。この10万円で高3の間は沢山遊ぶことができたし参考書も買うことができ、卒業まで金銭に困ることはなかった。



 社員番号は871578だった。タイムカードを打つ時に入力するこの数字は、生涯忘れないだろう。



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