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大学生活が楽しくなってきた

↑こういうふうに思えるタイミングって、大学生活の中に何度かあるよね


また今日も二本投稿です。いろんな思いは綴りきれないですね

最近、いろいろ悩むことって消えてないし、結構大変な思いもしつつ、周りの人ともうまくいってないってのもあったりしつつなんですけど

大学生活が楽しいと思えてきてます。

それはなぜか、考えてみると

大変なことに対して、それがなぜ大変なのかを説明することができるようになったこと、そしてそれらに対して処方箋を持てていること(意見が合わないのなら、別に無理して合わせなくてもいいよねって。メリー号の時のウソップ理論です。そうした方がお互い無駄な血を流さなくていいし、別に無理に関わらなくても十分別の方法で幸せになれるんです)ってのが大きいですかね。
説明可能になると、その正体不明さが消えて、怖くなるなるんでしょうか
基本的に、未知って怖いっすもんね

あと、自分は自分の持ち味があると思えていること

他の人と自分は違くて当然で、でもだからこそ周りがよく見えるけど、
最近はあんまり羨ま強いとかないですね

なんか、覚悟が決まっているからでしょうか

自分の未来をぐいぐい引っ張ってきている気がします

そんな態度を取れている気がします

必死になれてる、、というかね


自分にしかない価値観はあるわけですし、自分にしかないセンスもありますし、自分のことを大事に思ってくれている人って、気づいていないだけで結構います。その人たちの思いを感じるだけで、十分幸せじゃないですか。あぁよかったって。

だから、別に遠くにいる誰かにそういうのを求めなくてもいいんすね

俺は俺が、自分がどうしたら幸せになるのか、何をやりたいのか、今何に時間を使うべきなのかに対して頭をフル回転させてりゃいいじゃんって

そう思えました


だから、今は、PCに食らいつくようにして、情報を集め、論述するための骨組みを構築しようとしています。

かつてどこかで、小島秀夫監督が「食らいつくようにして、かじりつくようにして操作できるのはmacだけ」みたいな話をしていた気がします。どこか忘れちゃいましたけど

そんな感じです、今

かじりつくようにして、頭を使っています

それが気持ち良いですね

確かに、脳味噌のフロンティアがじわじわ広がっていくような感じがします

これ、これです

求めていた学習の感覚はこれです。


この研究というクリエイティブによって、私の脳味噌は活性化しています


このまま、研究以外も、自分なりの最適解であるアウトサイドへ手を伸ばし、かなうならその手を誰かに取って欲しいですね
この態度を続けることによって、良い結果に巡り逢えそうです
この態度、この態度です。これです。これでいくのです、俺よ。

そのために、また考えて、実践です

何もかも、トライアンドエラーで、改善していきましょう





あぁぁ、やっぱスタンドバイミーのおかげかぁこの高揚感は

「あの時、自分たちはどこに向かって進めばいいのか、それがはっきりわかっていた」みたいな台詞ありましたよね。

少年の頃って、やるべきことって明確でしたよね、だからこそ迷わなかった。

今はいろんな選択肢が選ぶ権利がある分、正解は何かと悩んじまうんすよね

完全な自由ってわけじゃないけど、権利は保証されている

でも、正解は何かなんて考え出したら、きっとキリがないんすね

大事なんは、、、、

うまく言葉にできないけど

「直感」的なそれです

センスってことになるんですかね

その人が結局どっちに進むのかっていうのは


そこって、理性だけの世界じゃないですもん

いろんなものが複雑に絡み合って、そうなるわけなので

だから、最終的なものって、結局その人の心のありようで決まるんすね

そのためにも、まぁあんまり気負いせずにというか、

できることといえば、考えて、行動するだけですから

前に、進める方向へ

進んでいきましょうね


頑張るぜ、、、俺よ


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