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壺コピペが結構胸に刺さっている話

以下、http://hiro.asks.jp/62143.htmlより引用

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「この壺は満杯か?」の話

「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。

「この壺は満杯か?」

教室中の学生が「はい」と答えた。

「本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利を取り出した。

砂利を壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。そしてもう一度聞いた。

「この壺は満杯か?」

一人の生徒が「たぶん違うだろう」と答えた。

教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の下から砂の入ったバケツを取り出した。

それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。

「この壺は満杯か?」

学生は声を揃えて、「いや」と答えた。教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと水を注いだ

彼は学生に最後の質問を投げかける。

「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」

一人の学生が手を挙げた。

「どんなにスケジュールが厳しいときでも、最大限の努力をすれば、いつでも予定を詰め込むことは可能だということです」

「それは違う」と教授は言った。

「重要なポイントはそこではないんだよ。この例が私たちに示してくれる真実は、大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないということなんだ」

君たちの人生にとって「大きな岩」とは何だろう、と教授は話しはじめる。

それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり、自分の夢であったり……。

ここでいう「大きな岩」とは、君たちにとって一番大事なものだ。

それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君たちはそれを永遠に失うことになる。

もし君たちが小さな砂利や砂、水など、自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、君たちの人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。

そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体を失うだろう。

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ひろゆきの配信で知ったコピペ、初出は七つの習慣らしいのかな?
大学三年の夏とか秋ぐらいに知って、それ以来結構好きなコピペである。

そんで今、大学四年生のタイミングで、結構胸にくるものがあるコピペとなっている。

大学四年生にもなると、つぼに入る大きな岩は、もう入れてしまった感はある。まだ入るかな?でも、4年という時間の中で、自分のツボには岩やら砂利やら水やらが入ったと思う。

これから大学を卒業すれば、みんなそれぞれの道を歩んでいくことになる

あるものはニートになり、あるものは大企業につとめ、あるものは会社を興し、あるものは駆け落ちでもするだろう。

彼らは、その第一歩を持って、大きな岩をつぼに一つ入れることになるだろう。そして、多くの人は、それ以降で岩を入れることはないように思う。もう砂利や水しか入らなくなってしまっている気がする。

私はどうだろうか。

もう、岩を入れるラストチャンスが迫っている気がする。

だから、真剣にもなるよね。最近はさ。


悔いを残すとか残さないかとかではなく、

ただ自分に正直に、自分の人生を好きになれるように

そんな岩を入れたいと思うのである。



そんなことを思いながら、またミスチルを聞き、映画を観て、課題をやって、マイナビと睨めっこして、研究計画書を書き足していいくだろう。

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