ニュージーランドの同性婚の歴史について

日本で岸田首相が同性婚に対して否定的な発言をしたことが問題視されている。

思想信条の自由が保証された国においてこういった考えを述べることが問題視されるというのは一体どういうことなのかはよくわからないが、ふざけるなと思う人もそれなりにいるであろうことは想像に難くない。

この手の話があると割と引き合いに出されるのが有名なニュージーランド政治家の動画だ。ちなみにこれは「結婚という言葉の定義に関する変更」という法律であり以下に詳細がある。

これは結婚というものの定義を拡大しようという法律であるから、当然同性婚であるとかの結婚が認められたことになる。

このスピーチを行った政治家はモーリス・ウィリアムソンというのだが、この法案が審議されたのは2013年の時点だ。このときの首相はジョン・キーであり、ウィリアムソンは与党ナショナルの政治家としてスピーチを行った。

ちなみに法案を出したのはルイザ・ウォールという女性議員であり彼女はレイバーの政治家だ。この手の話が持ち上がるときになんで彼女が出てこないのかはいつも不思議で仕方ない。

その時のスピーチがこちらだ。

つまり全体的な構図としてはこうだ。

  1. 野党レイバーから結婚という単語の定義を拡大する法案が提出される

  2. 与党ナショナルの議員も賛成した上に本来は政敵であるはずのナショナルが投票するように説得するスピーチをした

  3. 結果認められた

なんとも感動的な話(?)ではないだろうか。ただ、ニュージーランドでは一足飛びに同性婚が認められたわけではない。同性婚実現までの長い道のりを改めて振り返り、彼らが一体どれだけの時間をかけてここまでたどり着いたのかについてまとめてみることは、モーリス・ウィリアムソン、ルイザ・ウォール両議員の名誉にとっても非常に重要だと思っている。

2013年に「結婚」というものを同性の間でも認めることになったのだが、2005年にはシビル・ユニオンといういわゆる事実婚での同性婚を認めていった。

つまり、同性婚というものが一般的になった上での結婚制度の拡充というステップを踏んでいるということは注目に値する。

結婚制度を破壊したといえばそうなのだが、今回はできるだけ良いことを書いておこうと思う。それは日本の岸田首相の発言からやたらニュージーランドを引き合いに出すが、ニュージーランドの同性婚合法化への道のりは重く、暗く、どろどろしたものだからであって、全くきれいなものではないからだ。

ではニュージーランドにおける同性婚というものはどのような歴史を経たのだろうか?

まず、同性カップルというのはかなり前から存在していたが「結婚していると認めよ」という裁判が起きたのが1996年だ。この裁判が起きた理由は何だろうか?じつはニュージーランドは同性婚を禁止していないという点が争われた。

重要なのでここから始まる歴史を以下に箇条書きすることにする。

  • 1955年のMarriage Actでは同性婚を禁止していない、これは当時の議会において二大政党がともに認めたもののコモン・ローであることを理由に「結婚は一人の男性と一人の女性の間で行われる」ものだと回答をした。

  • New Zealand Bill of Rights Act 1990およびHuman Rights Act 1993では性的嗜好による差別を禁じている、そもそもMarriage Actに明記しないことがおかしいのだから、同性婚は認められてしかるべだ、という議論に発展。

  • このときの高等裁判所は政府を支持した

  • 1998年に改めて1996年に裁判を起こした女性カップル3組のうちのふた組が国際的な潮流、すなわち国連総会で採択された自由権規約人権委員会が発行した市民的及び政治的権利に関する国際規約を根拠に再度訴訟をしたものの2002年に棄却された。

  • 2005年の選挙において当時の首相だったヘレン・クラークは同性婚の排除は差別的であるとしながらも民意を根拠としてMarriage Actの変更はしなかったが、シビル・ユニオンを設立し、同性事実婚を合法にした

  • 2005年に同性婚への道を完全に閉ざす法案が提出されたのだが、これは賛成47票、反対73票で否決された

  • 2013年に最初に記載した同法案が可決された。

このように1955年に作成された法律の記載上の不備、というよりも、コモン・ローの欠陥をついた、というよりもそこから風穴を開けるしかなったような裁判から20年の時間を要したのがニュージーランドの同性婚だ。

当時の法案も成立はしたものの、当時の与党であったナショナルは賛成27票、反対32票というものだったので、やはり反対が根強かったことがわかるし、こうやって見ると、ウィリアムソンのスピーチが一体誰に向けられたものなのかがよくわかるだろう、そう、身内を説得していたのだ。

ニュージーランド・ファーストは全員反対に回ったが、これは彼らのポリシーだ。

大事なことなのでもう一度言うのだが、1996年に初めて訴訟を起こしたときから2013年に可決されるまで実に17年もの時を費やしてきたのだ。

その際にも政府は結婚制度が差別的であることは認めつつも法律を改正して来なかったのが2013年になってついに認められた。

ウィリアムソンのあのスピーチが意味することは何なのか、スピーチが感動的だ、ではない、法律によって差別が禁止されているし、自分たちも差別であると半ば認めた法律の改正が進まないという国会における一つの異常な状態を修復するための必死の訴えだったのではないだろうか。

同性婚を認めるまでの中に関わった様々な団体を調べ始めればきりがないからここでは起きた事象を並べるに留めるのだが、同性婚を認めたい、認めてほしい人たちが受けてきた迫害や、政府が少しずつ制度を変えていって時間をかけて人々の常識を変えていき、つまり同性カップルは珍しくないのだ、と認識を変えていく作業が2005年のシビル・ユニオン成立から10年近くかけてきていた。

ウィリアムソンのスピーチはあれによって国を一足飛びに同性婚合法化への道を開かせたのではなく、扉を開ける最後の抵抗勢力に「扉を開けさせてくれないか」と訴えるものであって、それだけ国会内でも必死に戦ったことが見て取れるので、彼のスピーチが感動的という人を私はあまり信用できないか、きちんと背景までわかった上で感動しているのかと疑問に思っている。

讃えられるべきはウィリアムソンだけではない、シビル・ユニオンを立ち上げたヘレン・クラーク(動画の中でも言及があったと思う)、法案を作ったルイザ・ウォール、公的な議論を勇気を持って開始した1996年の3組の女性カップル、諦めずに再提訴したその中の2カップル、こういった人々の血のにじむような努力があった上でのウィリアムソンの動画、ということはこの問題に関心があるなら最低限知っておくべきだ。

彼らの20年近くに渡る戦いのことを紹介しないままにウィリアムソンのスピーチを感動的だと言っても私は全く気に入らないので今回は彼らの背景を紹介することにした。

ちなみにニュージーランドは、オセアニアでは初だが、南半球では4番目、世界では15番目に同性婚を認めた国だ。

この法案が可決する前に人々の常識が変わっていたことも忘れてはならない。シビル・ユニオン成立前の2004年においては反対が54%だったが、2011年以降の調査では賛成がほとんどの場合に半数以上となっていたのだから、この変化も見逃すことはできない。

こういったいろいろなことをきちんと見た上で岸田首相にはあまりにも一足飛びな解決を求めすぎてはいないだろうかという点も含めて再考することも悪くないのではないだろうか?

そういうわけでニュージーランドに来ることはおすすめしない。

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