主体的に自由意志で生きているのか、 決まった運命の中で生きているのか

どちらも正しいと思います。
決まった運命の中でも、
自由意志で生きていると
感じられるということだと思います。
簡単にいえば、人は生まれて、そして亡くなります。
それは運命です。

また、もっと細かい、
多くの人に適用されるお約束の中で生きていきます。
しかし、その中でも、十分自由度が高く、
自由意志を感じて生きることができます。

人生をジャズのセッションに例えます。
人生が”枯葉”のセッションだとします。
テーマのメロディーとコード進行が決まっています。
曲の最初と最後にテーマのメロディーを演奏します。
その中間で、奏者が順番に即興を演奏します。
それらがお約束で、決まった運命だといえます。

しかし、決まったお約束の中でも、演奏している側は、
部分部分でニュアンスを変えて演奏したり、
適用できるオプションの中の音を使って、
思い思いに即興を演奏できると感じられます。
つまり、十分自由を感じて、
自由意志で演奏していると感じられるということです。

きっと、運命論を支持する方には、自由意志と感じて演奏していることも、
運命づけられているとおっしゃる方もいらっしゃると思います。
そうといえるかもしれません。
人はほとんどの部分を頭で情報処理を行い、
いろいろと感じるなかで判断して演奏しているというのは、
共通のお約束であり、運命だといえるからです。

そこからもう一段深く、
神秘的と感じる理由で運命論を支持される方も
いらっしゃると思います。
そのような解釈をしたとしても、私の場合、
「ということは、私が何を始めようとも、
やりたいことをやったとしても、
運命なのだから、何をやったって大丈夫。
または、あらかじめ決まっているのだから、
自由に何かを選んでドーンとやってしまおう。
自由に自信を持ってドーンとやっていこうじゃないか。」
と考えるに至ります。

以上、私の価値観では、決められた運命の中でも、
主体的に自由意志を感じて生きていくことができるというお話でした。

お読みいただいてありがとうございます。サポートしていただいたお金は、PC・Macの情報と知識と、キャリアとポジティブなカウンセリング技術の向上のために使わせていただきます。これからも研鑽を積み続け、記事を通して皆様に還元したく思います。