ショーケースの向こう側

8月も過ぎ、暑さが落ち着いてきましたかね
バタバタしている間に1週間も経過してしまいました………
復習に時間をかけ過ぎました…
なにせ情報量が多いから……

クローズドコンサートですね

こちらに今年もお邪魔してまいりましたー!
渋谷美竹サロン クローズドコンサート
務川慧悟ピアノリサイタル 2days!!!!
いやー………楽しすぎました
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渋谷美竹サロンでのコンサート。
昨年ラヴェルピアノ曲全集の録音前に急遽発表されたオールラヴェルプログラムから1年。
またほぼ同日程で今年も開催されるというのはなんとも運命的なものだ。
確か割と急に告知がなされたわけで、しかもド平日、週頭の2日というなかなかスケジュールが難しいところに放り込まれたこちらのリサイタル。
おそらく日程的に難しかった人もいるかもしれない。
運良く2日間とも予約もでき、さぁプログラムを予習しようと思ったら

うん。
前半の作曲家全く知らない!!!
どうやらフランスの古典派の頃の作曲家らしいということは少し調べただけでわかる。
そしてこれまたフランス革命が起きた年代と丸かぶりである。
これがおそらく意図的であろうことは予習した方ならばおそらく勘付いたのではないだろうか。

クロード・バルバストル: ロマンス ハ長調
ルイ・アダム : 鍵盤ソナタ ハ長調より 第1楽章
ヤサント・ジャダン : ピアノソナタ ニ長調 Op.5-2
エレーヌ・ド・モンジュルー : ピアノソナタ 嬰ヘ短調 Op.5-3
ショパン : 舟歌 嬰ヘ長調 Op.60
サン=サーンス : アレグロ・アパッショナート Op.70
フォーレ : ノクターン 第7番 嬰ハ短調 Op.74→実際に演奏されたのは第9番
ラヴェル : 夜のガスパール
en) ラモー:ガヴォットと6つのドゥーブル

今回のプログラム。
前半はフランス古典派時代の作曲家であるわけだが、これについて務川慧悟氏本人から解説があったわけである。
なんとなんと講義付きである。
さて、ここからは講義の詳細についてできる限り記載しておく。
さぁみんなで務川先生の授業を復習しよう٩( ᐛ)و
演奏の感想というより講義内容の咀嚼になるよ!

◼️今回このプログラムを組んだ理由について
どうやら春〜夏にかけて授業の単位を取るためにプレゼンテーションをしなければならなかったようである。やらないと単位が取れないってなかなかのハードル。日本の大学だと選ばれた人だけの印象だ。

そして、何を題材にするかを考えたときに、古典派時代フランスではいわゆるピアノの名作と呼ばれるものがごっそり抜け落ちていることに着目したようだ。

講義中に出てきた作曲家や曲、
出来事なんかを年表にしてみたよ。
バルバトルのロマンスの作曲年数を
メモし忘れたので載ってないよ

突然こんな図を見てもよくわからないだろうが、務川慧悟先生が話してくれた今回取り上げられた作曲家が生きた年と今回のプログラムの曲が作曲されたおおよその年代とその頃別のモーツァルトやベートーヴェンはどの曲を作ったのか。フランスで何が起きていたかなどをまとめたものである。
真ん中に作曲家の生年
上部にフランス以外で起きた出来事
下部にフランスでの出来事を記載してある。

さて、本題に移ろう。

◼️講義(ポンコツが作ってるので抜けがぁ!!??)
まず演奏されたのはバルバストルである。
調べたところによると、彼はラモーの弟君に師事してオルガニストで、大変人気があったらしい。
マリーアントワネットにもクラヴザンを教えるなど、いわゆる貴族社会における勝者であった。
しかし、フランス革命により、立場は一転し、晩年はなかなか不遇の扱いを受けたようだ。
今回のロマンスはおそらくともともは四重奏曲で、貴族のご令嬢が弾く鍵盤をメインにした曲らしかった。今回はもちろんソロにて。
作曲年代を失念してしまったが、務川氏の言う通り、オルガンやクラヴザンで弾くことを想定した曲想である。

さて、マイクを取り、「講義の時間です」の宣言から始まる(初日は講義です、2日目はプレゼンですでしたね)
なぜ古典派時代にフランスではピアノの名曲が生まれなかったのか、これについて務川氏は大きく分けて3つと考えたようだ。

  1. フランス革命

  2. フォルテピアノの発展・普及が遅れた

  3. その当時流行っていたソナタ形式(構成を重んじる形式)がフランスの瞬間の美学とは合わなかったからではないか。

1.フランス革命
1789年〜1795年に起こった革命で、フランスに住んで長いのでさすがに覚えたと仰っておいでだったけれど、それだけフランス国民にとっては重要な出来事ということだろう。商工業、金融業の上に立つ者が主導で行われた革命で国民の様々な階層を巻き込む大規模なものだ。
民衆も参加できるような大規模でわかりやすい音楽(主に吹奏楽のような管楽器の曲。そこから今の国家ラ・マルセイエーズも出来上がった。)が流行したため、小規模な音楽はあまり作られなかったとのこと。

2.フォルテピアノの発展・普及が遅れた
フォルテピアノの発明は1700年初頭に遡り、クリストフォリという人によりなされた。
その構造が図解付きで雑誌に掲載される。
それが数年経ち、ドイツ語に翻訳されたことでドイツ語圏でフォルテピアノの開発が盛んに行われるようになる。
バッハも晩年2度ほどフォルテピアノに触れているらしいが、初回の印象はよくなかったらしい。

ウィーンではシュタインという人がフォルテピアノ開発をしていて、モーツァルトが試奏したのもこのシュタインのフォルテピアノだったようだ。
しかし、かなり高額だったこともあり、手が出せなかった。
しかし、数年後、ヴァルターのフォルテピアノを購入し、それ以降はピアノで弾くことを想定した曲が増えていく。

一方、フランスでもエラールがフォルテピアノの作成を始めるが、フランス革命から逃れるためにイギリスへ逃げてしまい、革命中は1.の通り、民衆も参加できるような大規模でわかりやすい音楽が流行し、ピアノの発展は遅れてしまったようだ。

この頃、ルイ・アダムが鍵盤ソナタ(1784年)を作曲。時を同じくして、モーツァルトはソナタ13番を作っていた。
アダムの曲が、ピアノよりもチェンバロやオルガンで弾くことを想定した作りになっているのに対し、モーツァルトは明らかにピアノで弾くことを想定した曲を作っていたようだ。

そしてここで演奏タイム。先ほど紹介のあったルイ・アダムの鍵盤ソナタである。(3楽章形式の曲だけど、どうしても3楽章とも弾く気にならなかったようで1楽章のみ笑)
聴き比べてみるとわかるが、アダムの鍵盤ソナタは確かにいわゆるピアノの曲というよりは断然チェンバロやハープシーコードなんかで弾いている方がしっくりくる気がする。
ルイ・アダムについて調べてみると、どうやら1795年からパリ音楽院の教鞭を取っており、尚且つ、フランス革命後の音楽教育における、ピアノのメソッドを作った人らしい。
詳しくはピティナさんのHPに連載があるのでそちらを参照されたい。

この曲に関していうならば、古典派の要素もロマン派の要素もほぼないように感じる。どちらかといえばやはりバロック音楽だろう。
同時期にモーツァルトが作ったピアノ・ソナタとはかなり差がある。
エラールがフォルテピアノ製作に着手し始めた時期を調べてみると1777年頃で、モーツァルトがフォルテピアノに出会う時期と同じ頃なので、この時点でドイツ語圏とフランスで鍵盤の発展時期に差があるのは明確であろう。

3.その当時流行っていたソナタ形式(構成を重んじる形式)がフランスの瞬間の美学とは合わなかったからではないか。

古典派全盛の時代、ピアノ曲で主流のだったのは、もっぱらソナタ形式であったようだ。
つまりは構成を重んじる楽曲であった。1曲全体の構成を大切にしている形式である。
務川氏の考えでは、この構成を重んじる感覚が、フランスの美的感覚には合わなかったことで、古典派主流の音楽はあまり作られなかったのではないかと考えたようだ。
曰く、フランス人にとっては瞬間の美学を重んじていると。(ここはあまり正確な表現ではないかもしれない)

ジャダンがピアノソナタ ニ長調 Op.5-2を作曲したのと同じ頃、ベートーヴェンはピアノ・ソナタ1番を作曲していた。(ジャダンとベートーヴェンはほぼ同い年。ベートーヴェンの方が長生き)
ご本人曰く(実際にワンフレーズ演奏してくれたよ!)、和声分析的にいうと、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ1番は1度と5度の和音(たしか5度→1度で完全終止だったような…)で作成された単純なものでありながら、全体の構成としては非の打ちどころのない、古典派のソナタを作っていた。
片や、ジャダンは出だしに5度から6度に移る偽終止を用いるなど、曲全体に凝った工夫の見られる部分が散りばめられたソナタを作っているということらしい。
終演後、瞬間の美学というのがあまり咀嚼できず、ご本人に質問してみた。
曰く、曲全体の中の1和声を切り取った時の響きにかなり工夫を凝らしているということらしい。
確かにベートーヴェンの曲は巨大な建築物のようなそれを感じるが、フランス音楽がどうかと言われればもちろん曲全体が一つの芸術というのは間違いないが、各所に目を引くというか耳を引く響きが存在するのは確かにその通りだなと納得した。
(ちゃんと受け取れてなかったら本当に申し訳ありません務川さん…………)

そして、ジャダンの演奏へ。
実際に演奏されると思うが、古典派という感じはなく、ほぼロマン派の音楽かなという印象で、ご本人も弾きやすそうな印象があったりした。(主観強めかもしれない…)

そして、今回の講義ラストの作曲家、モンジュルー。
エレーヌ・ド・モンジュルー。ご本人も述べていたが、エレーヌの名の通り女性である。
(調べてみたところ彼女も1795年からパリ音楽院の教鞭を取っており、初の女性教授だったようだ。)
当時彼女はかなり有名なヴィルトゥオーゾだったようで、かなり高給取りだったようだ。
ジャダンが上記ピアノソナタを作曲してからさらに経過し、1811年に作曲されたのが、今回のピアノソナタ 嬰ヘ短調 Op.5-3。
嬰ヘ短調という調はなかなか使われるものではないらしく、モンジュルーがかなり気合いを入れて作った曲であったことが伺えると話していた。
こちらもじゃダンと同じく、かなり和声に工夫が見られると言う。(和声ちゃんと勉強せんとなぁ………)

そして演奏である。
もうこの御仁にとっては得意分野と言ってもいいだろう。
もうここまでくると完全にロマン派感がある。
後にショパンがパリにやってくるのは1830年ごろだったと記憶しているので、かなり近しい曲想をしていることが伺える。

というわけで、ここまでが前半である。(え。)
たしかここまでで1時間半ほど経過していた。
ご本人もびっくりしていた笑
しかしこれで1ミリも退屈しなかったもんで、個人的にはもっと詳しくやってくれてもよかった(いいぞ!もっとやれ!!精神)

さて、休憩を挟み後半へ。
講義内容が気になった方はもうここまで読んでいただければそれで大丈夫です。
もうこっからはいつものやつなんで………笑
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後半。ご本人もおっしゃっていたが、ショパンがパリを訪れたころと時を同じくして、フランスで鍵盤音楽が花開き始める。
ここからはショパンから始まり、ラヴェルに至るまでの師弟を辿る旅路のようなプログラムだ。
ヴィルトゥオーゾ的な曲を書いたサン=サーンス
晩年難聴に苦しめられながらも、独自の和声を研究し、その分野の裾野を広げたフォーレ
印象派技法を確立し、作り上げられた世界観の美しさ、そして管弦楽において魔術師とまで称されたラヴェル

ショパン:舟歌 嬰ヘ長調 Op.60
3月紀尾井ホールにてプレイエルで演奏されたこの曲をさほど経過していない(と言っても5ヶ月もたってましたか!)聴き比べができるとは贅沢なものだ。
舟歌といえば、かの御仁は自ら文章を綴っている。

この文章とても好きで、何度も曲を聴きながら読み返した。
正直なことを言えば、ピアノで奏されるそれと、この文章では少々違和感があったのだが、プレイエルの演奏を聴いて妙に納得したのを覚えている。
話が逸れたが、美竹サロンの会場というのは決して広くない。まさにサロンである。
この小さな空間がこの御仁にとっては余裕綽々のテリトリーであろうことは想像できるが、昨年聴いたよりもさらに空間の使い方というか音の届け方が異常だ。
昨年正直な話、この場所に来れたこと、ラヴェルが聴けるというそれだけで舞い上がっていて、記憶が定かでない。今でも夢なのではないかとさえ思う。
確かに狭い空間で、目の前ではあるが、当然観客はいるし、手元が見える位置でもない。
12月。浜離宮ホールの2階席で体感したあの音そのもの。しかしここはホールではない。ましてや2階席でもない。直線距離にして数メートル。
それとも錯覚だろうか。
ホールで演奏する時とこういったサロン形式で演奏するのではどのくらい変えるものなのか定かではないし、ホールの音響というものがどの程度の透過性なのかも定かではないけれど、手元が見えないとか足元が見えないとかそんなことはどうでも良くなる程の音に全神経が支配される感覚。
ホールで演奏された時との感覚がほぼズレなく目の前に顕現するというのはどういう状況なんだろうか。
もちろんブレがないというのは音楽的要素の話ではないのだけれど、やっぱりここでも自分の表現力の無さが腹立たしい。

現代のピアノで弾かれるときの舟歌はどこか優美に聴こえる。船旅というものの経験はないのだけれど、一面海ないし湖。遮るものなく見える空と太陽。通り抜ける風。そんなものがふとちらつく。
会場の照明はほぼ消えていて、正面にあるピアノを静かに奏でるその人の側のみが照らされているにも関わらず、そんな錯覚さえする。
外は夜だ。でも背景には空が見えそうだ。
実際には正面にあるビルの灯りが漏れる程度。
奏でられる音楽に錯覚を見るこの心地よさが伝わればいい。この錯覚というのはある程度誰の演奏を聴いても起き得ることなのだが、不思議なもので、この人の演奏になるとより錯覚を想起させられる。
これはもしかしたら掴まれたものにしか伝わらない感覚なのかもしれない。(いや普通にお前の頭がおかしい)

サン=サーンス : アレグロ・アパッショナート Op.70
時代はさらに進みサン=サーンスである。
サン=サーンスというと1番最初に思い浮かぶのはピアノ協奏曲第5番だろうか。だが、実際にはその協奏曲のような曲想のもののほうがおそらく少ない。
ピアノ協奏曲第2番のほうがサン=サーンスらしいだろう。
ヴィルトゥオーゾ的な曲を書いたと御仁は言う。
展開される曲の派手さでいえば確かにその通りかもしれない。

この御仁の演奏というのは、いつも知的な方向性の方が印象的なのだけれど、たまにこの人は演じているのかもしれないと思うことがある。
というのも、あまりにも普段の印象と演奏がかけ離れていることがあって、いったいどこに隠れていたのかと思う。
今回のサン=サーンスのこの曲もそうだ。
どこか派手目に感じるこの曲だけれど、いつもの知的な印象が重なりつつ、それでもあまりある色気とでも言えばいいかもしれない。
全く困ったもので、そんなものを見てしまえば他にも隠れているものがありそうでさらに目は離せなくなるのがファン心理というものではないだろうか。
追いかけ始めて数年、見れば見るほど変わっていく。
それにしても、今回はサロンの後ろの方に始終聞いていたのだけれど、されに言えばピアノの蓋の開いている側である。
12月の浜離宮でも感じたが、この音のバランスの良さは一体どういう了見なのだろうか。最近気がついたことだが、ピアノを弾く指が見れない代償はある(指!!演奏してる時の指も見たい!!!)が、下手側で聴いた時にあぁここはこんなことをやっていたのかの発見がある。
この御仁にはまだこんなすごさがあったのかと、何十もの気づきがさらに増えていく。
1番如実に確認できるのは左手のバランスの良さだろう。
というよりピアニストはみんなそうなのか?
どこで演奏を聴くのかの問題は結構あるものかなと思う。
できれば3人くらいに分裂して聴きに行けたらもっと知り得ることがあるのかもしれない。物理的に無理ですけど!!!!!!!

フォーレ ノクターン第9番
先にプログラムについて記載しておく。
初日、演奏された時おかしいと思った。プログラムにはノクターン第7番の表記。しかし明らかに曲の展開も違えば、分数も違う。予習する曲を間違えたのかと帰り道に確認したがやはり違う。しかし、そこまで自信がなく、もしかしたら、脳内で変換されてしまっただけかもと思い、2日目に聴いてみたが明らかに違う。フォーレは遡ること昨年の秋冬にハマり割と気が狂うほど聞いていたが、ノクターンのどれに当たるかを即答できるほど聴き込めてはいなかった。
なので、本人に尋ねてみることにした。するとどうやら勝手に変えてしまったらしい笑
フォーレ晩年の曲はどれも曲調が近いので、一瞥してどれがどれかを見分けるのが難しい。もしかすると和声分析を行う人にとっては全く違く聴こえるのかもしれないが、少なくとも音源をただ聴いている人間からすると流しで聴いてしまうと、どこからどこまでが1曲であるか見失う時もある(怒られるぞ)

さて、話を戻そう。
ノクターン9番。フォーレ晩年の作。
かの御仁は「諦めたような」と形容していた。どこかふらふらと漂っているような、迷っているような作だ。曲を聴きながら諦めるとは何を諦めるのかとふと思う。
私はこの感情を知っている気がした。
いろんなものを諦めるというのは、通常マイナスの意味で捉えられがちだ。しかし、諦めることで楽になれることを知っている。
諦めることで解放されるものがあるのは確かだ。それは絶望ではなく、ある意味では希望と取ってもいい。
例えば、今耳に入ってくる音楽が諦めの境地なのであれば、それは少しだけ幸せかもしれない。
音階のように登っては落ちていく。
まるで人生そのものを曲として作りたかったのではないかと思うほどに、優しく、それでいてほんのり灯るように明るくなりかけたり、でも戻ったり、なんでも順風満帆、思い通りにはならないのが世の常である。それでも、今の現状を受け入れること、自分は結局自分にしかなれないこと悟る行為。それそのものがある種の救済だ。
それは簡単な単語で表せば「諦め」になるのかもしれない。
そして、この御仁がつくる「諦め」の音楽がこれほどのものかと妙な恐怖と安堵感を覚えてしまうのは、身勝手が過ぎるだろうか。
何度か書いているけれど、この御仁に出会って、自分でも驚くほど救われている。それが何に起因するかといえばこういうところだ。
自分が今までに歩んだ道の中で、思い出したくない道程でも、過去に救われずに傷になってしまったものさえも救ってもらった気分になる。本人からしたらそんなわけはないのは当然理解している。こちらの勘違いだ。
それでも、表現する、できるということは本質を理解しているということでもあると思う。それは恐怖でもある。今見ている御仁の、我々の知らない所で本質を理解するような出来事があるとするならば、正直この目の前の御仁にはあってほしくはない。
もしそうだとして、それすらも糧として目の前で演奏されるというのはそれもまた少し恐ろしい。
とはいえ、だからこそあの場に立っているとも言えるわけで、やっぱりこうしてリサイタルへ出向いてしまうわけである。
少し恐ろしくて、優しい男の元へ。

ラヴェル : 夜のガスパール
余計な話が多くなってしまった。
そして、この曲に辿り着く。最近よく演奏される夜のガスパール。
音源でも、コンサートでも聴き、そしてその度にこの曲の完成度の高さを思い知らされ、さらにそれを毎度のことながら目の前に芸術として顕現させるこのピアニスト。
フランスにおける瞬間の美学。この曲に関していえば瞬間も全体もどこを切り取ったとしても美学しかない。そもそもラヴェルはこの曲において言えば、曲の全てを瞬間として作ってしまったと言ってしまえそうである。夢の中で何時間も過ごしたにも関わらず、目を覚ますと数分という経験はないだろうか。そんな感じだ。(つ、伝えられてる自信がない…!)
今回は狭いサロンという場所、そこでどう音楽を構築するのか、否が応でも期待してしまう。
そして、その期待は即実行されてしまう。
本当にどうしてこんなにも綻ばないのか、正直意味がわからない。
12月の浜離宮ホール、3月の紀尾井ホール、そしてCD。
夜のガスパールという曲はそれそのものが音楽として音楽の範疇を超えてしまったような芸術作品であることは、おそらく間違いないのであろうが、当然その完成度は弾き手に左右されるだろう。
ベルトランの詩の理解が追いついていない私が言っても説得力はなかろうが、この曲の演奏という意味で、この御仁の演奏の完成度が恐ろしいということは確信が持てる。
そしてそれは、会場がどこであろうとも関係がないらしい。
空間全てがまるでピアノだとでも言いたげな、その場の空気の支配力。
情景を簡単に浮かび上がらせてしまう音作り。
目を釘付けにして、誰も彼をも金縛りに合わせてしまう存在感。
演奏を生業にする人物は、2種類いるような気がしている。
その場を楽しむように、遊んでいるかのように演奏する人と集中し、没頭するそれを誰が見ていようとどんな状況だろうと変わらず演奏する人。
彼は確実に後者だ。
そして、今日もその集中は綻ばない。
我々の首に、魍魎たちの手が掛かるのだ。
結局のところ、また幻のような決して目に見ることはできない芸術品を目の前に展開され、狐につままれたような時間を過ごすことになる。
確実に体験したはずなのに、終わってしまえば跡形もなく消えてしまうこの世のものとは思えぬほどの芸術品を。
持って帰れるのは、その不思議な感触のみだ。
全くもって、この感触が残っているおかげで、終わってしまった現実を受け入れられずに、また性懲りも無く別のリサイタルに通うのである。
今日も感触だけが手元に残る。困ったものだ。

en) ラモー:ガヴォットと6つのドゥーブル
そして最後のアンコール。ラモーである。
どこまでいってもフランスもので終わる。
古典派時代から、ロマン派を巡り、バロック時代に回帰する。
御仁らしいプログラム組だなと思う。
そういえば、講義の時に、サントリホールでこんなプログラムを組む度胸はないと言っていたが、正直な話、務川慧悟その人のファンならば、サントリーホールで演奏されようともみんな喜んで足を運ぶ気がする。
なんせ、ショーケースをいつも眺めているだけの人間にそのショーケースの中身をほんの少しだとしても垣間見せてくれる瞬間だ。
誰だってその禁断の中身は知りたかろう。
話が逸れた(いつも)。
相変わらず、この御仁の演奏するラモーは素晴らしい。
機会があって、別の方のラモーの演奏を聴いたことがある。
しかし、好みかと言われれば正直首を傾げてしまった。
きっとこれはファンだからだ。どうしようもないほどに。
本当に恐ろしいほどの毒を持った御仁である。
講義を挟み、難曲を複数弾き切ってもなお衰えないアンコール。
何度聴いても結局のところこの人の演奏に帰ってきてしまうのだ。
展開される変奏の美しさをここまで体現できる人はいないと思ってしまうのはいつものことだが、それにしたって、全く恐ろしい。
本日は本当にフルコースだ。
まったくサービスがすぎる。
そして今年も感謝だけが残る。
それにしても、本当に美しい。
こうしてまたショーケースはまた宝物になるのだ。

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いやー。講義パートがあるとはいえ長い。(定期)
本当に毎度のことながらただよかったを書くのに文字数を吐き出してしまうぅ…
というわけで、ここまでお読みいただきありがとうございました!
昨年に引き続き、まだかのお方は夢を見せてくれるらしいです。
そう!今回はですね!!なんと!!昨年は全く会話にならなかったわけですが!
講義があったおかげで今までで1番まともな会話になったんですよお!!!!!!!
よかった!!不審者なのは変わらないけど!人間が唯一持ち合わせている言葉を使った会話!!ハッピー!!
と言ってもご本人からしたら会話になってなかったかもしれない……
たぶん2日間合計5分にもならない時間だったわけですが充分です。
昨年もそうでしたが急に発表されるし、クローズドコンサートなので、チケットが完売になってからあるいは終演してからしかあることを視認できないコンサートなので、本当に気が抜けませんなぁ……
今年も伺えたのは本当にラッキーでした。
また墓まで持っていく思い出が増えましたわ……ありがとうございました……

さて、そして発表されましたね。
12月。今年はなんとなんと5日間ですってよ…………
い、行けるのかな………全通が目標ですが、む、難しいかもしれない……
そういえば3月紀尾井ホールでの受賞式で演奏家というものは本当に心臓に悪い職業だとおっしゃっておいででしたが、あなたも充分こちらからすると心臓に悪いお方です………
もしかしたらお互いに心臓をかけて、ステージと客席で向かい合ってるのかもしれない………笑

さて、リサイタルとともに夏の気配もなりを潜め始め、風が少し涼しくなってきましたね。
今シーズンも後半戦です。
12月まで生き延びないといけませんね。
5日間連続演奏会。無事に浜離宮ホールに集合いたしましょう。

追伸:お写真撮ったり、お話ししてくださったフォロワーの皆皆様。人間でいられたのは皆さんのおかげですありがとうございました…