光の速さはどんな速さ?

寒かったり暖かかったり、寒暖差が激しい季節柄。
皆様いかがお過ごしでしょうか。
先日褒めちぎりまくって騒ぎ立ててたくせにもう書くのかと思った方もおいででしょうが、今回はこちらに行ったのですよ。

プログラムだよ

CHANELです。
シャネルピグマリオンデイズ2023です。

東 亮汰さんの演奏を拝聴に行ってきましたー!
抽選だったこちら。私全然知らなくて、普通に当たってしまったんですが、すごい倍率だったようですね……ビギナーズラックってやつかもしれない…

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当方のnoteをお読みいただいている方は周知と思うが、ここで書く内容はほぼほぼ特定の御仁に限られている。
そして3月その方との共演を機にコンマスとしてではない東 亮汰というヴァイオリニストを知る。
その時感じた何とも言えないピンとくる感覚を確かめに行きたいなーなどと考えていたら、ピグマリオンデイズご出演自体は知っていたものの、申し込みはすでに終えていると思っていたら、まだだったことを知り、急遽申し込んだ。

件のピアニストの演奏を聴く時、どうしてもそちらに引っ張られる。まぁファンですし、我が最推しですし、そのなんですか…別に聴いてないとかそういうわけじゃないんですけど、こう………(おい)
ごほん。失礼。
つまりは、目にも耳にも入っているが、ピアノを奏でるその人に目も耳も心でさえも釘付けになってしまうのが常である。
故に室内楽を聴くとき(でもないな…)、残念ながら感想が偏ってしまうのだが、3月どうにも感想がうまく出てこなかった。
実はこんなことは初めてで、動揺したのを覚えている。
そんなこんなで、この揺らぎの正体をよく知りたいなと思ったのだ。

さて本日のプログラム。
ドビュッシーとフランクのソナタは3月に聴き、どちらもヴァイオリン・ソナタの中では有名であろう曲に挟まれる形でマルティノンが配置されている。
マルティノンは初めて知る作曲家。軽くさらってみたが、日本語のサイトでは情報は多くない。指揮者としての方が認知としてはありそうだ。
自身がヴァイオリニストで、無伴奏の作品は2作品ある。そのうちの1曲だ。

1曲目:ドビュッシー ヴァイオリン・ソナタ
3月にも聴き、ドビュッシー最晩年の曲。
かの御仁曰く、「熱に浮かされた人の音楽である」と。熱に浮かされる、現実と夢との境界がぼけるとはよくいったものだと思う。
東さんのヴァイオリンをソロで聴いたのは3月が初だったわけだが、この時も思ったけれど、曲を弾き始めたときの人が変わったような圧倒的な集中力による空気の変わり方は正直鳥肌レベルだと思う。
イメージでいうならば、水に突き落とされて沈んでいくように、引きずられるようにこちらも集中していく。
それまでは、コンマスとしての彼しか知らない。と言っても数回立ち会った程度だ。
コンマスの仕事はオケ全体を先導すること、もちろん他にも仕事は数多あるだろう。
その枷が外された東亮汰はこれほどのものかと思う。もしかすると、この集中力を持ってして、オケ全体が引きずり込まれているのかもしれないとさえ感じる。記憶が正しければ今彼は23歳(違ったらほんとすんません…)。オーケストラの世界において、どのくらいからコンマスの任に就けるものなのかは定かでないが、なかなかこの年齢でプロオケのコンマスを任されることは少ないのではないかと思う。
正直、社会においてあまり年齢は関係ないと思っている。もちろん蓄積された経験の差というものは存在するが、それも決して一定ではない。
だが、その枠を取り外したとき、彼の才能は圧倒的に輝いて見えた。
透明であったり、アンティークのような音であったり、奏でられる音の素晴らしさは、その場にいた者ならば言わずもがなだろう。
曲が進むにつれて、熱は高くなっていく、ひりひりと肌を焦がすような緊張感と没入感。
まさに夢なのか現実なのかわからなくなっていくように耳を支配する音はどこまでも夢中にさせてくれる。
夢と現実を行ったり来たりしながら、フィナーレへ向けて熱を上げて進み、高まった熱を放出するように華々しく幕を閉じる。
これが、ドビュッシー最晩年の作品というのだから驚きだ。演奏者本人も語られていたが、病に侵され、余命幾ばくかの人間が書いていたとはあまり思えないまだここから何か先に進めようとしているような作品であり、しかし同時に人の持つエネルギーをそれこそ命をかけてそこに費やしたかのようにも思う。

2曲目:マルティノン 無伴奏ヴァイオリンのためのソナチネ5番 No.1
近代フランスの作曲家にして指揮者。言語が不得手なので、ちまちま翻訳機にかけたりして調べた限りでは、第二次世界大戦時従軍しており、1940年に捕虜として捕まった経歴がある。こちらの曲は1942年に書かれたとされる作品。終戦が1945年と考えると、もしかすると捕虜になっている間に書かれているのかもしれない。(嘘だったらごめん)
楽曲は3楽章構成。
とかく手元に揃った情報が少ないので、どういう背景で書かれた曲が不明なのだが、陰鬱に始まる1楽章。弦楽器の無伴奏曲というのは本当に孤独だなと思う。むしろピアノという楽器の方が特殊なのかもしれない。
無伴奏作品というのは、そもそも演奏に体力と神経をモロに使うものだと思う。
どういう曲なのかという輪郭がぼやけやすい印象があって、実演はさほどないが、録音を聴いていると、時々結局どんな曲なのかわからないみたいなことが発生してしまう。これは私だけだろうか(私だけかもしれない…)
マルティノンのこの曲において言えば、楽章が進むにつれて切れ味が鋭くなっていき、民謡のような雰囲気が出てくるのが特徴かなぁと朧げに思う。
何と言えばいいか、弾いているうちに夢中になっていってどんどん即興のように音を増やしていくようなそんな印象の曲だ。
そしてこのどんどん集中力が増していくスタイルの曲はやはり目の前のヴァイオリニストにとても合っているなと思う。

3曲目:フランク ヴァイオリン・ソナタ
ヴァイオリン・ソナタといえばこの曲と言っても良さそうなくらい有名な曲だと思うが、何回聴いても素晴らしい。
フランクがイザイの結婚祝いに贈った曲らしいことを最近知る。
正直、知るまでは結婚祝いで贈った曲には思えなかった。確かに濃密に絡み合うピアノとヴァイオリンだが、どこかハッピールンルンという感じでもないからだ。どちらかといえば少々悲劇的な匂いがするというか。
3月に聴いて以来2度目。相変わらず弾き始めた瞬間に人が変わったように弾き始め、あっという間に周りを曲の中に引きずり込んでしまう。
東さんのヴァイオリンの音色を的確に表現できないのだが、情熱的というのは少し違う。どちらかといえば鋭いが近いのだが、別に痛々しい音をしているわけでもない。ただ、ふと直線的に音が心の真ん中を射抜くように刺さってくるのだ。
技術的なことは残念ながら語れるほどのものを持ち合わせていないので、雰囲気だけつかんでくれ……(毎度のことながら説明がゴミ)

フランス音楽を聴いていていつも思うのだが、基本的にカテゴライズが難しい。美しくあっても決してただ美しいということはほぼない。狂気に彩られた美しさ、恐怖を伴う美しさ。これは近代フランスにおいて芸術の一括りにおいてかなり複雑に絡んでいることが起因しているのではないかと思われる。絵画、文学、音楽、あらゆる角度とその当時の流行自体がかなり複雑だ。

1楽章のどこか仲睦まじい楽想から始まるが、どこか急かされているような気持ちになるのは私だけであろうか。さて、この時のヴァイオリンの熱の高さというか本当にこの人はあのほわっとしたMCをなさった方と同一人物なのだろうか。(ちなみに今回はカンペ作ってMCなさってましたw真面目である)

2楽章の燃え上がるような、しかしどこか切なさが含まれるなんとも言えない楽想。
楽章の終わりに向かって追い立てられていくように盛り上がっていくヴァイオリンのあの鬼気迫る音は一体どこから出てくるのかと思う。
不思議なもので、ドビュッシーのヴァイオリン・ソナタとある意味同じように熱に浮かされているなと感じるほどに身につまされる音である。
これで結婚祝いとかなかなかやってくれるなと思うし、どこか闇を感じる楽曲を作ったものだと思う。そして追い討ちをかけるようにヴァイオリンが気持ち急く(※褒めてる)
ほんとどっからくるの????この気迫は…

さて3楽章に突入したときだ。
いきなり訴えかけるようなピアノから始まる。
それを突き放すようなヴァイオリン。
実はこのソナタの中で3楽章が1番好きなのだが、今まで感じていなかったが、ある言葉を思い出していた。
結婚式の誓いの言葉「その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、 これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか」である。
もしかすると結婚祝いに引っ張られているのかもしれないが、そういことなんだろうかと。
たとえどれほど辛かろうとも共に歩むということは、それこそ楽しいことだけではないものだ。
目の前で展開されるヴァイオリンとピアノの掛け合いが、ふいの切なさと一緒にどこか決して1人では完結し得ないものを描き出しているようで真に迫っていた。
ご本人が今どうなのか知らないが、本当に才能とは恐ろしい。想像なのか経験なのかは不明だが、ここまで真に迫る音を一回りも年下の男の子が描き出しているという事実。
おそらく、解釈としてはまだ荒削りなのだろうが、荒削りであることがこれほど恐ろしいこともない。
私はこと音楽に接している時は涙腺が緩い。あまりに真に迫るものだから少し涙目になってしまった。
本当怖いこの子……(おい)
さて、4楽章に突入し、場面は一転する。
春の訪れよろしく明るく展開されていくが、相変わらずピアノとヴァイオリンが優しく絡み合い進んでいく。フィナーレに向けて楽しげに、しかし時折やはり悲劇的に進行する。どんなときであろうとも手を取り合うというのはこういうことかもしれない。
そしてピアノとヴァイオリンは同時に終着する。

さて、終わってみて気づいたが、なかなか重量のあるプログラムだ。
それにしても本当にあっという間でこれぞまさに新進気鋭という感じだ。
そしてアンコールである。
これが個人的にはとても嬉しかった。

アンコール:シャミナード(クライスラー編曲) スペイン風セレナード
アンコールは何を弾くかというところにあまり考えが及んでいなくて、急にクライスラーの編曲物が投入されたことであっけに取られる。

実はクライスラーが私はとてつもなく好きだ。
特に愛の哀しみが本当に好きで一時期毎日毎日飽きもせず聴いていた。
そこから編曲の達人クライスラーが編曲した曲たちにも数多出会う。その中の一つ。シャミナードについては実はほとんど知らなくて恐縮なのだが、はて、このクライスラーのどこかおおらかで優しいこの曲をどう弾くのかと思っていた。
まぁそうですよね。ほんとねこんな音も出せるんですねこの方………とあやうく土下座しそうになりました(やめろ)
最後なんてもう口笛でも吹くかの如く軽やかにそして優しく奏してくれてありがとう……
もうその一言に尽きる。
いやほんとに最高でした。

そして冒頭に戻るわけだが、結局何が違和感になっていたのかそれについてはまだわからないのだけれど、強いてあげるならやっぱりあの引きずり込まれる感覚だろうか。
うんなんか知ってる…よく知ってる…ピアノとか弾く人に超似てる…(うるせぇ)

最後に、ピアノの五十嵐薫子さんについても言及しておこう。
どうやら東さんとはよく共演されているらしい美女である。いやほんと美女でした。
室内楽におけるピアノの役割をまだきちんと理解していないのだが、基本的にはやはり支えになる重要な存在だろう。しかし、時に対比的に描かれることもある。
今回でいえば、ドビュッシーのそれもフランクのそれも時に支えて、時にもつれあい、時に対極に立つようなそんな雰囲気であるわけだが、お見事としか言葉が出ない。偉そうなのはすみません私の文章こんなしかならないんです…
ピアノを背後から見ることはそれほど多くない機会だったが、指、目線をよく見ることができた。その中で本当に細やかな気配りがまた取れて、そして音の美しさといったらほんとありがとうございました…

それにしても強烈なリサイタルであった。
輝くというのはああいうことを言うのだろうなと思う。今の界隈からの注目度で言うと相当高い人物だろう。各オーケストラでのコンマス経験にソリストとしての実績。おそらくこれから協奏曲のソリストとしても呼ばれ始めることだろう。

ここ数年で数多の演奏会そしてソリストに出会ってきた。どの方ももちろん素晴らしいが、これほどスタートダッシュがとんでもないスピードになりそうな予感のするソリストも多くはないだろう。

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はいはい。毎度のことながら長いですね。
自覚はあります…
さて、毎度お馴染みのこの件ですが、皆様最後までお読みいただきありがとうございました!
あれです。新しい推しできたかもしれない……って話をこんだけ長く書いたというだけです。

実はホールの場所ですが、ガチシャネルの入ってるビル内にあると思ってなくて、ほんとにビビり散らかしてしまいました…本当に周りにいい服着たいい匂いする人しかおらんくてほんと怖かった…
場違い甚だしいちんちくりんがこんなとこお邪魔してほんとすんませんの気持ちでした。
当たったからには行きますけど!(どっちだよ)

しかしあれですね。ひさしぶり自分の中でセンセーショナルな出会いですね。こう頭にゴーンって鐘がなる感じ。あれです。海外の鐘とかじゃなくてお寺とかあるやつね。(何を言っている)
これから聴きにいく機会が増えていきそうです東亮汰さん笑

次の現地出没予定はラ・フォル・ネルジュです。
もうGWですねー。
ずっと聴いてみたかった福間さんのソロが聴けます!やったー!
というわけで今回はこれにて失礼。
音楽ってやっぱり楽しいですね