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なんで教師が生徒の人間性に点数つけてんの?

内申点は高校受験に大きく影響し、子どもたちの人生を左右する極めて重要な指標である。

したがってそれは公正かつ厳格な判断基準に基づいて決められなければならない。


だが実際にはどうだろう。

通っている中学や地域によって評価が甘かったり、教師のさじ加減でいくらでも点数を操作できてしまうのが現状ではないだろうか?


1.それで点数決まるのおかしくない?


以前まで中学校の成績は

  1. 知識・理解

  2. 技能

  3. 思考・判断・表現

  4. 関心・意欲・態度

の4つの観点から評価されてきた。

※2021年に「知識・技能」「思考力・判断力・表現力など」「学習に取り組む態度(主体性・人間性)」の3つに変更されている。


なかでも注目したいのが「関心・意欲・態度」だ。

この項目では

  • 発言

  • 授業態度

  • ノート

  • 提出物

などが評価の対象になる。(最近はどうなのか知らないが僕の中学時代はそうだった)

「授業態度」「ノート」「提出物」にも言及したいところだが、今回は「発言」にフォーカスをあてよう。


2.実際に評価されているのもの


発言とは授業中に「挙手」して発言することだ。

一般的には挙手の回数が多いほど「関心・意欲・態度」の評価が高くなると言われている。

回答の正誤にかかわらず、手を挙げさえすればその積極性が評価の対象となるらしい。


では評価が高くなるのになぜ挙手しない生徒がいるのだろうか?

関心が低いからなのか?

意欲が低いからなのか?

そうした理由もあるかもしれないが、もっとも多いのは性格が内向的だからという理由だろう。


外向的な性格の生徒は人前で発言することに抵抗が少ない一方で、内向的な生徒は人前で発言することに強い抵抗感を持つ。

つまり挙手は外向的な性格の生徒に有利であり、内向的な生徒に不利である。

ならば挙手の多寡によって成績を決めるのは、生徒の性格に点数をつけているのも同然と言えるのではないだろうか?


学校では道徳の授業で「みんな違ってみんないい」「人間に優劣はない」と教えられる。

だが現実には外向的な性格を「優れたもの」として評価し、内向的な性格を「劣ったもの」として評価しているのではないだろうか?

事実、内向的な生徒はテストの点数が優秀でも通知表の成績が異様に低くされるケースが珍しくない。

逆に外向的な生徒はテストの成績は大したことなくても通知表の成績が良いケースが多々ある。


3.人間性に優劣ってあるの?


2021年から「関心・意欲・態度」の項目が「学習に取り組む態度(主体性・人間性)」に変更された。

注目なのは「人間性」が評価項目に組み込まれていることだ。


評価項目にあるということは「優劣」があるということを意味する。

そして生徒の人間性が優れているのか劣っているのかを教師が判断するのだ。


しかし人間性が優れている生徒とはいったいどんな生徒だろう?

人間性が劣っている生徒とはいったいどんな生徒だろう?

ただのイチ教師に「人間性の優劣」を評価できるほどの能力があるのだろうか?


……結局のところ、テストの成績のみで評価を決めるのがもっともフェアであるように僕には思える。

そのほうが個人の学力にあった高校生活につながるし、教師も気が楽だろう。


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