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こだわりについて

こだわりがあまりない。
こだわりがあまりないことが、最近の悩み。

28にもなってくると、もう少し何が好きとかこれといえばこうじゃなきゃとか、そういう自分らしさみたいな、癖みたいな、自分流とか、そういうのがあってもいいのかなと思うけど、それがあんまりない、と自分では思っている。

割となんでも受け入れられる。
え?と最初は思っても、もしかしたら自分がまだ知らなかっただけでそれはそういうものとしてずっと存在したのかもしれないし。自分のキャパが狭かっただけかもしれないし。

なんでも食べられる。誰とでも関われる。人当たりも多分いいほう。

これが、私がパッとしなくてふわふわしてる理由かなと思う。

これからはもっと自分の感じる「違和感」とか「嫌な感じ」を大事にしたい。それはつまり、もっと自分を信じるとか自分を大事にする、ってことかと思う。
もっと爆発したいし、自分にしかできない何かをしたいって、28にもなってまだ何者かになりたいと思っているからには、自分を信じて、やること/やらないことを決めないと、と思っています。

ちょっと話は変わるけど、最近緊急事態宣言がゆるく?なってから、またちょこちょこ美術館に行くようになった。
先週は上野の東京都美術館でやってる「イサム・ノグチ 発見の道」をみにいったけど、作品の意図が難解すぎた。タイトルとその作品の形状が全然結びつかない。え、なんでそれにそのタイトルつけるん?どこがどう鳥?みたいな。

そこにいた自分以外の人たちは、それらをみてどう解釈したんだろう、ととても気になったけど、作っている側は誰にどう解釈されてもいいんだろうな、と後で考えていて思った。誰にどう思われても、自分がいいと思ったから作っていて、自分が完成だと思ったからその作品はその最後の一削りで完成で、自分がそう思ったからそのタイトルをつけた。だって、あとから誰にどう思われようともどうでもいい、と思ってないとそのタイトルつけなくない?

自分の好きを極めてたら、それに共鳴してくれる人が出てきて、お金を払う人が出てきて。アーティスト願望のある人が全員そうなれる訳ではないと思うし運ゲーみたいなところもあるんだろうけど、少なくとも人に認められる(注目される?評価される?)ひとはみんな自分のやりたいこと・好きなことにこだわり続けている。自分にこだわって生きている。

そう思ったら、もっとわがままに生きようよ自分。と思えてきて、好きなことで稼ぎたい!と思った訳です。でもそれ以前にこだわりがないな自分。ってさ。

全員好きなことばっかやってられる世の中になってよね。

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