『TAR ター』いろんなものを脱ぎ捨てた姿
満席だった。驚きである。
指揮者の物語でだ。みるからに地味。アカデミー作品賞ノミネートはされているが、まあ優先度は低いかなという印象だった。
しかも、2時間半もある。もちろんド派手なシーンはない。
だがしかし、結果見てよかった。
連想させる映画はいくつも挙げられる。
音楽を扱い、狂気的な指導者を描くという意味では『セッション』が近い、
老いた芸術者が若い才能に没落していくという意味では『ベニスに死す』にも近い、
表現という世界で何かに囚われていくという意味では『ブラックスワン』にも近い、
その他にも、SNS要素やジェンダー要素などあらゆる切り口を持っている作品だった。
そのため、人によって見方や感想が変わってくるという楽しみ方もできるだろう。
私が一番近いと感じた作品は音楽になるがCreepy Nutsの『サントラ』という曲だ。
特にR指定の1ヴァース目。
この曲は俳優の菅田将暉とともに作り上げた曲だ。
アーティストとは、俳優とは、ひいては表現者とは何か、をR指定流に表現している。
これがモロにターに当てはまるではないか。モロッター。
「あらぬ事よからぬ事かきたてられて心底病む仕事」
授業中に生徒に対して訴えたメッセージを編集され、拡散され、ターの意図とは違う捉えられ方をされてしまった。そして、あの暴挙につながっている。
「大勢の他人を蹴落としてでも自分を認めさせる仕事」
ター本人が明確に他人を蹴落とすことをやっているシーンはなかった。
だが、ターならやってきただろう。
「ヒトの感情以外は何一つ生み出さぬ仕事」
これがまさにラストシーンを表している。
何もかも失ったターは自分が指揮者を目指した原点を振り返る。
それは、見た人の、聞いた人の、感情を動かすことだ。それこそが指揮者であるターの原点なのだ。
逆にそれさえあれば何もいらないのだ。その狂気こそがターをあの地位まで持ってきていると言える。
ラスト、メトロノームのように時間を支配することも許されない環境でも指揮者であり続けている。それはなぜか。
彼女の仕事は感情を生み出すことだからだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?