学び日記 夜と霧

言わずと知れた名著、夜と霧。精神科医であった著者がホロコーストで壮絶な日々を過ごす中で発見する人間の挙動や本質がギュッと詰まった一冊でした。

ホロコーストでの日々がどのようなものだったのかは改めてここでは書きませんが、凄惨すぎて想像するだけでもしんどくなるレベルでした。
著者によると、人は本当の極限状態に陥ると感情をシャットアウトするそうです。仲間がリンチにされていても、さっきまで喋っていた友人が死体になっても特段気にせず食事を取る・・・etc

著者は上記のようなホロコーストでの生活を経て、人間には2種類あることを知りました。まともな人間と、まともでない人間です。
前者は友人に前向きな言葉をかけ、極限状態にあっても弱っている仲間にパンを分け与えるなど聖者のような行いをしています。またそこまでいかずとも大半の人は協力しようという意思があります。
しかし後者は、盗みや裏切り、暴力への加担を厭いません。時にはこの人たちの存在が監視官よりも厄介に思われたそうです。

ここから導かれる一つの答えは、「人間はひとりひとり、どのような状況にあっても、自分がどのような精神的存在になるか=どのような人間であるかについてなんらかの決断が下せる」ということです。
よく環境が人を左右すると言います。その面も確かにあるでしょうが、ホロコーストのような極限状態にあってさえ、人間として踏みとどまり己の尊厳を守る人間になるかは自分自身が決めることなのです。人間の内面は外的な運命からは独立できるのです。

人間の内面を運命から独立させ、まともな人間であるために必要なものはなんでしょうか?
ここが本書の一つのテーマとも言えます。
それは「生きる意味を何に見出すか」・・・ではありません。著者によると、「生きることが自分に投げかけてくる問いにどう答えて行動していくか」という視点が重要であるのです。生きることの意味を問うことをやめ、私たち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのです。

生きることは日々、時々刻々と問いかけてきます。私たちはその問いに対し、考えることではなく行動によってのみ答えることができます。その問いは漠然としたものではありません。常に具体的なものであり、その具体的な問いに具体的な行動としてどう答えていくかによって、他の誰の運命とも異なったものになるのです。

この問いは、大きいものから小さいものまで本当に日々多く存在していると思います。「このパンを分け与えるべきか?リスクとって今会社やめるべきか?このまま寝ちゃっていいか?最近サボってるあの勉強、この動画見てる暇にやった方が良くないか?」など、時々刻々と投げかけられる問いに対してどう答えていくのか。
自分の思考の引き出しの中にこの視点を大切にしまっておきたいです。

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