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拾い画作品に関する悶着

 今年、いつもはやり取りのない方から年賀状がきた。その後唐突に電話がきて、
「初めての個展をするのだが、相談に乗って欲しい」との話があった。出す作品について色々相談したいから自宅に来て絵を見て意見が欲しい」とのこと。
 そもそも、なぜわたしがわざわざ時間とってその方の自宅まで出向いていかねばならないのだろうか。
 一昨年引越しをしてから私は自家用車を持っていない。相手は「迎えに行くから自宅まで来て欲しい」とのことだがそれでは半日も時間を取られてしまう。
仕事の後30分ほど時間を取ることにし、先にメールのやり取りをすることにした。

 メールには自作の絵と参考にした写真が添付されてきた。
樹木と森の油彩。
力強い、立派な絵に見える。

 よくよく話を聞くと、どうやらネットの「拾い画」をもとにして描いた油彩を、初めての個展のオリジナル作品として展示したいのだという。「それについて意見をくれ」とのことだったので私は以下のように返信した。
 添付された写真を比べてみて「ああ、この写真を見て描いたのだな」と私は見えたので「“誰々さんの撮影による写真模写による習作” と明記するならわからないでもないが、わざわざ自分の作品として個展に出すのは自分は気が引ける。それは平たくいえば “パクリ” だから、習作などの“練習”としてならいいかもしれないが、自分だったらオリジナル作品として個展には出すことはない」と返信した。


 そして昨日、仕事の後15:30に会う約束だったのに、なんと、すっぽかされてしまった。

私は1時間も待つことになった。

待ち合わせの旨を伝えたら、「まさか 待ってるだなんて思わなかった」とのこと。
先に交わしたメールのやり取りで「用事が済んだ」と思われたようだ。 本人は家に来て欲しかったが、わたしに30分しか時間は取れないと言われて直接面会は不要と思ってしまったみたい。いや30分しか時間が取れないからこそ、事前にメールでやり取りしたのだが…。これにはちょっと驚いた。



本人の談によるとネットから拾った写真を使ったということに関しては、写真に詳しい人から「絶対写真と同じ絵を描けないので、出品しても大丈夫」との認識であり、「構図は参考にしただけで、気になる樹木を省略したり、納得のいくまで繰り返し描いて、半年一年かけて描いて手がかかっている」とのことだった。

そういう結論が出ているならわざわざわたしに相談しなくてもいいと思う。



 これは想像でしかないが、いわゆる拾い画を使ったことに関しては「自分でもマズいのではないか」と思ったのではないか。
 そしてわたし(または他の人)に「大丈夫ですよ」と言われて安心したかったのかもしれない。
 本人は枝や樹木は省略しているとおっしゃってはいたけれど、 写真が上手い人の「ばっちりな構図」と「お高いレンズや機材」を使って撮った写真を「ほぼそのまま」描いたらさぞ素敵っぽく見えるでしょうな、というのが私の感想だ。


 インターネットの世界にあって「拾い画をいっさい使わない」というのは難しい。芸能人やタレントみたいに、本人を目の前にして描けない絵もある。航空機とか希少動物植物などもある。こうした場合参考として雑誌やネットの写真を参考に使うことはある。そして今回のケースも考え方は色々だとは思う。

 でも自然の豊かな地域に住んでいるのだし、樹木や森なんか、ちょっと時間作ってその辺に行けば良いのに、と個人的には思った。


取材に関しては原則としてわたしは現場主義だと思う(1)。

風景スケッチに関しては、寒い日も、暑い日も、疲れても、基本的には現場の風景を自分の目で見る。その場で簡単なスケッチをするか自分で資料写真を撮る。取材なしで他人の写真「だけ」で仕事はすることはしない。(建物の角度を確認する意味で撮れなかった角度を参考に見ることはあるけれども。)

そんな私が、「拾い画風景の個展、すてきですねー」と言うとでも思ったのだろうか。その辺に関しては私はかなり厳しい人間だと思うので、「相談」相手には不適格であると思うのだが(2)


 ここで苦労話をしたいとかそういうことはないのだけれど、これに関してはなかなかモヤモヤが止まらなかった。

真冬に、真夏に、カメラと画材と、スケッチブック持って外に出かける気持ちがわかるか。 旅行先の外国で、ろくに買い物もせずカフェにも行かず、足を棒にしてエナジーバーを齧りながらヨレヨレになりながら絵を描く大変さがわかるか。


去年厳寒期にスケッチした雪の中津川


 でも悔しいけど、どんなに苦労して、どんなに時間かけて描いても、SNSでは全然「良いね」なんか付かない。いや、ほんと、びっくりするほどつかない。 
 はっきり言って、拾い画で「サッと良さげに描いたイラストの方がずっと人気がある。綺麗めの塗り絵みたいな絵に何万件もの「いいね」がついたりする。

これは悔しくても現実だ。
だから、そんな評価を拠り所に絵を描いてはいけないと思っている。


 今年の真冬の正月、私は朝っぱらから神社で馬を描いていた。バカみたいだ。
昼飯はコンビニのおにぎりだ。

でも、現場じゃなきゃ味わえないものがあるんだ

午後は神社にお参りして描いた。

このわずか2時間後に地震が起こるなんて思わなかった。



 そう。私は単に気持ちが悪いのだと思う。
 誰かが苦労して撮影した風景を自分流に「アレンジ」して、「私の創作です」っていう顔をするのが心底嫌なのだ。

これについては賛否があると思う。誰か個人を攻撃したいのではない。

私にとって絵を描くとはどういうことだろう。
綺麗なものが描ければいいのか。
モチーフとは、モチベーションが持てるからモチーフなのではないか。「描きたい」ものはどこにあるのか。
私は自分の足で、自分の目で、自分の手で描きたい。
基本的にそこに「誰か」の介在は必要ないと思う。


とはいえ、考えていたらなんだか泣きたくなってケーキセットを食べて帰ってきた。

貧乏性だからやっぱり写生をしてしまう
場所は肴町の車門


(追記)

(1)私も誰かが撮った写真から起こした絵も描くことはある。でもペットイラストや似顔絵のような特殊なモチーフを除いて、なるべく実物を見て描きたいと思っている。

(2)きっと「相談」とは Illustratorで案内状の制作をタダでやって欲しいとか、展示を手伝って欲しいとかその類の話だったのではないか。知らんけど。


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