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シティポップと踊らない世代


小学生の頃から大学生くらいまで角松敏生が好きだった。
きっかけはなんだったかな、ああ、そうだ、「なるほど・ザ・ワールド」のエンディング「No End Summer」を聞いてかっこいいと思ったのだったかな。
小学校5年生から6年生だから、私はなかなかのマセガキだったのではないか。


 日本のバブルの頃私は田舎の小学生だった。父も教師だったので「バブルの風」を家庭で浴びたことはなかったが東京や仙台の従姉たちは華やかなお姉さんだったことはうっすらと記憶している。

 そんな中唐突に角松ブームが来た。
 「TOKYO TOWER」 とか「Airport Lady」とか「Sky High」とか飛行機とか高層ビルとか都会っぽい歌が新鮮だったのだ。
当時の音源の主流はカセットテープだったのだけれど、「FMライトアップタウン~角松敏生のポップフリーク」という番組を毎週録音して聞いていたのを思い出す。


この番組はなかなか良かった。

 自分の好みの音楽のもとはここから来ている気がする。
当時の生活は田舎の子どもそのものだったが、聞いていた音楽は「シティポップ」が中心だった。歌詞のことは十分に考えていなかったけれど、「都会の」「リゾート感のある」「おしゃれな」「オトナの」「恋の事情」を聴いていた。

 ほとんど子どもだったので「恋の事情」のあたりはやたらフワフワしていたが楽器のアレンジやリズムはかっこ良かったのでどっぷりハマった。
 恋愛のことなんてさっぱりわからなかったのだけれど、作中で歌われる、刹那的な軽妙さ、軽薄さ、みたいなものを魅力として感じていたのだと思う。
(あとあれね、青い海と白い砂浜。海辺のハイウェイ。私は三陸の海しか知らないからね。)

 角松敏生はライブに行ったりファンクラブに入ったりするくらいには好きだったのだけれど、氏の1991年の「All is vanity」 っていうアルバム のあたりから精神性みたいなところに重きが置かれるようになって「軽妙な恋のなりゆき」とか「リゾート感」みたいな軽さが薄まってしまった。(その後彼は歌手活動を休止した)(1)



「数年前から海外で日本のシティポップが流行っている」、ということを知って、最近YouTubeなどで当時の曲を聞いている。
 今聞くと、とても良い。

 音の絶妙な軽快さは心地よいし、当時のアルバムの参加ミュージシャンは豪華で、今聴いても音作りには金がかかっているなと思う。(でも、歌詞がちょっと恥ずかしい)そして、浮かれっぷりがすごい。

生きるの楽しそう…


こんなツイートを載せたらちょっと面白かったので、clapon氏との会話を掲載してみる。

その他のコメントも面白かったので、ツリーのリンクを参照してみてほしい。


むむ、そうか。
ディスコか。

 なるほど。我々は踊らない世代だったのだ。(都市部についてはわからないけど)

 学生時代「ディスコで踊る」という文化は自分の周りにはすでになかった。地域性の違いかと思ったが少し年上のお姉様たちの談によると頻繁にディスコに行って踊っていたらしいので、ほんの5、6年のところでこの違いが生まれるようだ。私も大学に入学してすぐくらいに一度ディスコに連れて行ってもらった気がするがすぐになくなってしまった。

 だから学生時代「踊りに行こう」っていう話になった記憶はほとんどない。「踊りに行く」なんて、そもそも選択肢にもなかった…。(2)

 90年代半ばになって、東京で学生をしていた今の配偶者と付き合うようになったけれど地味系院生の東京デートは美術館か博物館か本屋に行って、公園でダラダラしながら仏像のスコータイ様式とアユタヤ様式の違いについて話し合うくらいだった。

 当時特に貧乏くさいとは思わなかったけど、ディスコに比べると全く華がない。


これはちょっと残念な気がする。
「男のひとと踊る(ディスコに繰り出す)」ってどんな感じなのだろう。


そう言えば我が母(82歳)が以前

「若い頃男性と踊りに行った」と話していた。
「自分はダンスなんて習ったことはなかったけど、上手い男の人とペアになるとちゃんと踊れるし、楽しかった」

などと話していた。

えっ?まじで?!なにそれ!!
ママ、戦後の人なのに!!!なんだか羨ましいぞ!!!

母の頃とはまた踊りのタイプも違うだろうけども。


そう言えば私たちから少し年下になると、今度はヒップホップとかパラパラとか、まあまあ踊っている子達がいたなあって思う。


ん〜〜〜
自分ももっとみんなと踊りたかった!



(1)

 子どもの頃は「音」だけで聞いていたからイマイチわからなかったのだけれど少し大人になって、初期の曲に描かれていた「軽妙な恋」がちょっと嫌だなと思うようになった。

都会の風を知らない僻みだったのかもしれないし、非モテにがっかりしていたのかもしれないのだけど、当時は心底「トレンディドラマ」が苦手だった。この頃に流行っていた歌やドラマに謳われる「恋愛至上主義」みたいな雰囲気にはいまだにほんのり恨みがましい気持ちがある。

平成初期の頃のJpop音楽が苦手だって話はここにも書いている。どんだけ苦手だったんだよ私。


(2)
大学のアトリエに冷蔵庫があってみんなが酒を買い置いていた。今思えばどうかしている。

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