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“描き終わる”、とは。

先日、恩師と会った時、 (1)
“絵を描くときの「終わり」とはいつなのか”と尋ねられた。


私にとって絵の完成とはいつなのか、
 私はいつ、どんなタイミングで筆を置くのだろう。

 実は深く考えたことがなかった。
 「絵を描きたい」と言う動機が先にあって、終わりを決めずに始めることが多いせいもある。筆を取るときの感覚としては「終わっても終わらなくてもいいから今は絵を描きたい」と言った感じ。まるで行き先を決めない旅のようでもある。


 絵の完成に関して技法にもよっても考え方は変わると思う。
 隠蔽力のあるアクリル画や油彩ならば、途中で壊したくなったら壊してまた構築するような描き方の方が相性がいいと思う。これらの画材の特徴として、構築と破壊の繰り返しこそが絵の深みに直結する部分があるように思う。思考の痕跡がそのまま物理的な層になる。(とはいえ私はアクリルも油彩も描かないのであまり詳しくはいえない)

 水彩でもリフト(絵の具を取り去ること)はできるので、時折壊しては再構築しながら描くこと自体は可能だ。でも透明水彩でリフトを多用すると、透明感や偶然性による滲みの面白さは失われる方向にいく。水彩は引き算の技法である。(明るさを固定する意味での)白場や淡色を活かすことが無くしては光を表現できないからだ。
 


 個人的には水彩の魅力は「鮮度と」「余白」と「清潔感」だと思っている。
 水彩を評して、「サッと描く」「パッと描く」「思うがままに描く」といった言葉で表現される場合があるが、これらの言葉によってもフレッシュさのようなイメージが重要視されているのがわかる。
 
 筆につける水や絵の具の量、全体の水分など、一度にやることは意外と多いが、あとは水が描いてくれるので、短気な自分には結構向いていると思う。

 今は大体6、7枚の絵を並走させている。性格的にもチャンネルを切り替えて描いた方がリフレッシュするし、乾かすことも重要な過程の一つだと思う(2)。先に書いた「描きたい」という動機からスタートして7割くらいまでは一気に仕上げる。そこからネチネチと仕事する。(本当は一気に9割くらい持っていって描きたいんだがうまくいかない)


色々な人が言っていると思うけれど、水彩は紙がよければなんとかなる。あとは水が描いてくれる。紙がいうこと聞いてくれないとどうにもならない。紙と対話して「そろそろ色が汚いな」って思う前に辞めたい、と思いながら画材研究をしている。

ファブリアーノ5を実験

 
“「終わり」を決めること” についてはもう少ししっかり考えなくてはいけない。

 これまで汚い絵を大量生産して分かったことは、透明水彩は描けば描くほど「良くなる」わけではないと言うことだ。私はもっと手数を減らした方がいい。

 描かない絵を研究していく必要がある。


もう少し描きたい気がするけどもうやめた方がいいのだと思う。



(1) 前回の恩師との対話にはいろんなヒントがあって、この数週間で体感的な精度が上がったような感じがしている。いい機会なので思考の足跡として残しておきたい

(2)水彩はどちらかというと料理に近いのかなと思うこともある。

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