しょんぼりしたら、つくる。
とてつもない大災害と事故に見舞われた2024年、衝撃の年明けとなった。
被害に遭われた皆様には心よりお見舞い申し上げます。
311のころ、震災被害を伝えるテレビとツイッターに一日中齧り付いていた。
波に飲まれ姿を変える街並み、見えない原子力の影響などへの恐怖に駆られているのに、インターネットで被害状況を検索する手が止まらなかった。日々拡大する被害の様子を、どうしようもない思いで見つめた。何かできないだろうか、情報を少しでも掴んでおかなければと思いながら日々を過ごした。
しかし気持ちはどんどん塞いでいった。
そのうち作る(描く)頻度が極端に落ちていった。
2年くらいあまり絵も描けず、作っても楽しくなかった。当時は「作ることや描くことに罪悪感を感じた人たち」が多く居たと聞いたけれど自分もその一人だったのだと思う。
東北震災の後も私たちは色々な災害を目にした。そのたび衝撃的な絵を目にし、心を痛めることになった。そういえば、あの頃からテレビを見なくなった気がする。繰り返し繰り返し悲劇を伝える番組をみるのに疲れてしまったのだ。
今は「自然災害とはずっと関わっていかなければならないのだな」、という思いに至って、情報は時間を決めてみることにし、できる範囲で募金をし、心を寄せつつもなるべく自分の暮らしに集中しようと思うようになった。(1)
動揺して何もできなくなる前に情報を絶って、なんでもいいから作る。
そうすると一時的ではあるけれど集中できる。
こうして「なんでもいいから作る」なんて書いているけれど、災害の前では「作る」と言うことがどんなにか無駄なことであることを思い知る。災害によって徹底的に人間の暮らしが破壊されるのに、作りたいだなんて矛盾している。今私が作っているものも、描いているものも簡単に失われてしまうだろうに。
でも、この13年でやっとわかった。
いつか失うかもしれなくても作りたいものを作ろうと思う。
ウールの布で暖かいパンツを作ろうと思い、今日は裁断をした。
それから編みかけのセーターを編んだ。
まずはきちんと完成をさせようと思った。作る生活が私を支えてくれる…たぶん
(1)心がけてはいるがかなり動揺したようで、買い物に行っても商品を選べなくなったり、やたら眠くて睡眠を取ったりと、体が思う通りにいかない感じがする。
あまり負荷のかかることはしないようにしよう。
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