『ファーストラヴ』 読書感想文


島本理生さん著の『ファーストラヴ』をこの度読了しました。

恥ずかしながら島本理生さんをもともと知っていたわけではなく、たまたま市の図書館でフラッと見つけて『生まれる森』を拝読し、気に入ったので続けて読んだのが『シルエット』そしてこの『ファーストラヴ』でした。

(ファーストラヴを読んだ後に、島田理生さんがナラタージュの原作者だと知って納得しました。)


シルエットのあとがきが好きで、

わたしが小説の中でなによりも書きたかったのは、ずっと一人だけで守ってきた心の中に初めて他人という存在が深く関わってくる時の感覚や気持ちだったのだと、今、あらためて思う。他人を受け入れるときに伴う違和感や抵抗感。そして受け入れた後に生まれる新たな感情を。

シルエット/島本理生

この文がすごく好きなんです。
ファーストラヴを読んで、島本先生が描きたかった気持ちを、体得(?)することができたように思います。



(わたしは基本のほほ〜んとしているんですが、心は自称不安定な方なので、精神の面で調子悪いときはかなり調子悪いです。そして今は調子が悪いです。。なのでそんな奴の感想なんだなぁとそんな気持ちでこの先は読んでもらえると有難いのです。)



私は人というものが好きな方だし、周りの人にすごく大きな愛を抱きがちだし、ひとりでいるのは寂しくてきっと無理で、というようなタイプなのですが、他人が自分の心に入ってくることがあまり簡単に受け入れられないというか、他人と心を共有することに一定の諦念(ある程度距離を縮めてしまった以上仕方ない)を抱いているというかそんな感覚を持っていました。
逆に他人の心をのぞきすぎることにもすごく申し訳なさというか引け目を感じます。

それが矛盾だなぁと感じていたし、自分が愛を示し相手がそれを受けれてくれている分、相手が返してくれる愛はどんな形でも受け入れた方がいいよな、とそんな思考です。

他人からの愛を「受け入れた方がいいよな」なんて表現する時点でわたしがいかに僻んでいるのか(拗らせているのか)と思います。



この本は主人公の環奈が臨床心理士の真壁先生との対話を通して、自らの犯行の動機を探すため、過去や人間関係を見つめ直し向かい合っていくというストーリーなのですが、

見たくなくて目を逸らしていたことに向き合うことの辛さや大変さ、登場人物同士の馴染み方を繊細に表現していて、環奈と同じ経験どころか近い経験をしたわけでもないのに、環奈の気持ちの流動性や一面に少し共感できてしまうところがあったりして。


自分の気持ちに目を逸らして過去の出来事を心の中で美化させてしまっていたり、
相手の行動や意思に自分の責任を入れ込んで考えてしまったり、その故に拒絶ができなかったり、
拒絶をすることそれ自体をすごく恐れていたり、
自身の中の恐怖や不安を見ないフリして強がってヘラヘラしていたり、

環奈が持っている過去や経験は誰もが持つ経験ではないし、現にわたしは同じ経験はしていないのだけれど、
環奈が持つ心の多面性や複雑さや歪みの中のどこかに、誰しもが、共通している一部分を感じられるところがあるのがこの本の魅力ではないかと思います。


そんな風にふわっと共感できる部分があることによって、
わたしは自分の心の中の違和感を違和感として認められるというか、
自分の心にぼんやりと描かれていた模様を柄として認識できたというか。
それによって救われたような気持ちになったりもしてですね。

自分と他人が他人であるという当たり前の事象を、環奈の心理描写を通して、当たり前なんだと染み込ませてくれるようなそんな本だと思いました。
一種自分をメタ認知できているような感覚で。なので恥ずかしくもあります。
自分は端から見たらこんな感じなのか、自分の心理状態はこういったものだったのかと裸にされている気分にもなって。なので、これ面白くて読んで見なよと知り合いに薦めるのは気が引けるのですが。


真壁先生は過去のトラウマを乗り越えた(とわたしが判断するのは傲慢ですが)側の立場から環奈を見ています。
真壁先生は環奈が過去を乗り越える方法を知っている。でも話を聞き見守ること、そういった方法で環奈と馴染もうとします。
その暖かさというか、そうした関係性がもたらす安心感というものは大きいだろうなと思い、そういう形で人に寄り添えるようになりたいと思ってしまいます。


長くつらつらと書いてしまいましたが、
きっと心が不安定になったらまた読みたくなる、そんな本になると思います。しばらく心は不安定な時期が続くと思うので、島本先生の本をたくさん読みます。


余談

わたしは上記の感情と同じような感情から、
君の恋人になったら/backnumber という曲が好きです。
この曲はとても好きで好きで好きな人と、その人と付き合った時のことを考えている、という設定の曲です(多分)。

その中でも、2番のAorBメロ(どちらが何かはわかりません…)で、

『でも待てよ、よく考えりゃそれって君の心とか部屋とかに入ってもいいんでしょう?』

という歌詞があります。この歌詞が、とっっっても、好きです。


心に入ること、簡単に表現されますが、ふたりの人間が恋愛関係で結ばれる時、それは避けては通れないことだと思います。むしろ避けていては恋愛関係として良い関係になれないものだ、とくらいまでわたしは思っている、のですが。


この歌詞で、部屋に入ることと心に入ること、それを『とか』という、接続詞で同等に扱っている、そんなところがとっても好きです。
わたしは部屋にもあまり人を呼びたくないタイプなので、心へ入られることと部屋に入られることを同等に並べる感覚がとってもスンッと腑に落ちるのですね。

入られたくないと言うと語弊ですね。入ってもらうのは緊張や不安が伴いますが、すごく好きです。
正しくは、入れるのにある程度のハードルがあるという感じでしょうか。


逆に、一度部屋に入ってもらったことがある人は部屋に招待するのが簡単になるように、心も部屋も最初の一回が難関でハードルが高く、その分一回入れてしまえばすごく親近感を湧いてしまうというか。そういうところも部屋と心は類似しているように感じます。

一回入ってもらっただけで、その人が味方になってくれたような感覚がします。勝手に。


余談なのに長い!おわりにします。

「い(れる)」と「はい(る)」がまぜまぜになってしまいました。自分で書いた文なので入れると入るをごく自然に読めるのに、多分他人が書いた文章だと至極読みづらいだろうな。この日本語の難しい感じは嫌いではありません。


ありがとうございました。
頑張ろう、今日もあしたも。

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