「花束みたいな」あの頃にさようなら
大学時代は、花束みたいな毎日だったなと思う。
過去を振り返ったときに、あの日々は美しかったと思う感情は、ままある気がするけど、大学生の頃の私は、今、青春の!幸せの!真っ只中にいるのだ!ということに相当自覚的であった。
日常のあらゆる場面でスマホを片手に写真を撮りまくっていた。キャンパスで、帰り道で、教室で。とにかく何でもないシーンで、仲間を撮ったり、自分も写ったりした。今この時間は、切り取るべき美しい一瞬一瞬の連なりであるということに、当時の時点で、とにかく自覚的であったのだ。
花束は、もらったその時が一番美しくて、根を張って育つことはない。そして、自分以外の誰かから与えてもらうものである。私の花束のような毎日は、大好きだった人に、友人に、先生に、家族に与えてもらった花束だった。
正直、あの毎日がどうにも恋しいときがある。社会人になってからって、ちょっと花束みたいな毎日とは違う。そう悪くはないけれど、働いて、毎日をこなすことに必死になっている間に、遠ざけてしまった人もいる。
だけど、花束を与えてもらう人生のターンって、もう過ぎたのかもしれない。しっかりと自分で土を耕して、種を蒔く。水をあげて、丁寧に丁寧に人生を育んでいく、そういうターンに変わったんだよな、きっと。
そういえば、去年の秋頃から今年にかけて、ヒヤシンスの水耕栽培をした。球根から少しずつ根が伸びて、長くなって、その根がぐるぐると渦を巻いて、しばらくしたら、芽が出て、花が咲いた。良い香りがした。毎日の変化は少しずつだけど、花を咲かせるまでの過程のすべてがとても愛おしかった。
映画「花束みたいな恋をした」観てきた。世代がドンピシャで、色んな感情が込み上げてきた。観終わって、改めて、「花束みたいな恋をした」って素敵なタイトルだなあと思った。
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