にゃじら

国際結婚(ミャンマー×日本)/ (夫)元難民庇護者 (妻)元青年海外協力隊 / 経済的…

にゃじら

国際結婚(ミャンマー×日本)/ (夫)元難民庇護者 (妻)元青年海外協力隊 / 経済的自立への道 7年目 / 先が見えてきた! / 家族のために、ミャンマーのために。/ 何をやるかより、考え方重要 / 機能的ベネフィットより精神的ベネフィット/どんな逆境でも追い風にする家族になる

最近の記事

悲しい知らせ From Myanmar

少数民族軍としてトレーニングを受けていた 夫の弟二人が、 戦地前線へと出ることになった。 若者たちがうつむきながら 軍服で肩を並べて並ぶ写真が 送られてきた。 私が彼らと共にすごした時間は ほんの数日だけれど、 笑顔が今も浮かぶ。 あの時にみんなで笑顔でとった写真が またいつかみんなで撮れますように。 何としても無事に戻ってきてほしい。 こんなことで若者が命を落とすなんて ありえない。

    • 【今のミャンマーの家族のこと】

      結婚までの珍道中ストーリーの続きの前に。 ミャンマーは、少数民族軍も一つの軍として結成し、 クーデターを起こした軍(ここでは、バルマ軍と表記します)と 全面的に戦うことになりました。 まだ詳細はわかりませんが、 これまで、山の奥地で戦闘が繰り返されていましたが、 このような状況になると、 一般市民がかなり巻き込まれる可能性が大きいと予測されます。 すでに、バルマ軍の空爆により沢山の死者が出ています。 そのため、現地の家族たちは、 お米などの食料備蓄や、防空壕の準備を始

      • 【クラウドファンディング 目標金額達成!!!&私達が結婚にいたるまでの珍道中ストーリー】

        皆さま、本当にありがとうございます!!!!! 引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。 *下記、プロジェクトページより転載----------------------------------------- 【第1目標達成のお礼とネクストゴールに向けて】(2021年4月6日追記) クラウドファンディングの開始からわずか25時間で当初の目標金額(500万円)を超えるご寄付をいただきました。あたたかいご支援、本当にありがとうございます。溢れ出るミャンマー市民 への想いが結集し

        • 【ミャンマー 現地の兄弟たちの今】

          ミャンマー北部 出身の夫に届いた連絡。 「弟2人が少数民族軍に連れて行かれてしまった。」 少数民族軍(本当は正式名称がありますが、安全のため伏せます。) は少数民族軍の一つ。 昔から、町で遊んでる若者たちを訓練施設へ動員し、 一定期間トレーニングを行い、 いざというときに備えておく。 私の夫も以前トレーニングを受けたが、 争いが沈静化している時期だったので、 父親の迎えで、 戦地にいくことは逃れた。 しかし、今は状況が違う。 4か月トレーニングを受けたら、 戦場へと出

        悲しい知らせ From Myanmar

          【美味しいはたのしい でも切ない@マレーシア】〜マレーシア編〜

          〜マレーシアで〜 とある日本料理店のシェフとして、 奮闘する日々。 そんな中で、 洗い場で一生懸命汗を流す若者がいました。 私が赴任後、お店に行列ができはじめ、 ようやく少し軌道に… でも、私の手が追い付かない汗。 あるとき、その若者が、 仕込みを手伝わせてほしい とのこと。 彼は、母国ミャンマーにいる 家族に給料のほとんどを仕送りしていて、 妹の学校資金が必要とのことで、 もっと働きたいとのことでした。 器用な子だったので、 仕込みをやってもらうことに。 魚を試

          【美味しいはたのしい でも切ない@マレーシア】〜マレーシア編〜

          【美味しいは楽しい そして、切ない@マレーシア】〜序章 キリバス共和国で〜

          #おいしいはたのしい 〜序章 キリバス共和国で〜 <”美味しい”は、世界をつなぐ> と実感したのは、かれこれ9年前だと思う。 協力隊でキリバス共和国にいたとき。 私は料理隊員でした。 言葉は通じなくても、 美味しいものはみんなを笑顔にする。 たまにまずい(現地の人と味覚がちがう)のもあって、 それはそれで笑顔にする笑 (うどんとか、つくってつくって~~~ って言われて作ったら、 魚ないと食べれないって言われた笑) 雨水と食材をなんとかかき集めて、 一生懸命つくって

          【美味しいは楽しい そして、切ない@マレーシア】〜序章 キリバス共和国で〜

          僕らがミャンマーの希望となるまで〜ミャンマー人パパ FIREへの軌跡〜

          「明け方、川を渡ってタイからマレーシアに入った。命がけだった…  エージェントに頼んだのに!はははは~~笑笑」 夫に出逢ったころ、マレーシアで、 笑顔で彼が、教えてくれた、 ミャンマーからマレーシアに入ったときのこと。 今、一緒に平和に日本に住んでいることが不思議なくらい 彼の人生は波乱だったと思う。 そして、もっともっと大変な状況にいる若者たち、子供たちが、 世界には沢山いる。 夫に聞いたこと、マレーシアでのこと、 日本にくるために乗り越えたこと、 だんだんと、子育て

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