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赤本の問題答案作ってみた(課題文型小論文)

試験問題概略:「課題文(西洋古代哲学に関する文章)を読み考えるところを1200字以内で述べよ」
出典:東京大学 文科Ⅲ類 後期日程 論文Ⅱ-② 選択問題〔A〕1996年

【解答例】
 この課題文に於けるテーマとは人間の不死についての対話である。人間にとって死とは避けて通ることのできない人生最後の段階である。しかし、人間というのは同時に不死なる存在であることをこの対話におけるディオディマとソクラテスは証明したのではないだろうか。つまりは人間にとって子孫を残すということは古い者の代わりに常に新しい者を残していくことであるというように古い存在である私達は次の存在に命を繋ぐことにより新しい存在の中に古い存在である私達を残していくのではないだろうか。一方で私達の一生をライフスパンで見てみても私という存在は一生を通して個体としてまた同一である。私達を取り巻く体などの物質的な要因とは常に生じてまた消滅しているが、私達の自我としての同一性に於いて私達は一生を通して自分であり続けるのである。知識に関しても私達は常に知識を得ているが、それを常に忘れ、滅している。そしてそれを想定して知識の復習という作業がある。不死に与ることは同時に子孫を大切にすることである。このことから子孫を大切にするとは個体レベルで人間は前の存在の要素を後の存在の中に残すことを望むのではないだろうか。私個人の事を述べておくと、私もまた現存の私に至るまで物質的なレベルであれ、心理的な変化であれ、一方で生じ、一方で滅していくサイクルにあった。もちろん、思想に於いて若い頃から老年に至るまで同じ思想を持ち続けるということは人間に於いてはないことであり、すべて個体として存在し続ける中で生じ、滅し、そして発展を続けていく物であると言えよう。また人間の不死とは所謂、宗教学的な意味もあるのかもしれないが、同時に人間は個人として死んだ後に何処に留まるのかという事である。もちろん、それは宗教学的な永遠の生とはまた別の概念を創出しているのかも知れない。また、子孫の遺伝子として存続するというのとは別の概念もあるだろう。すなわち人間とは共同体であり、個々の個体が死んでもまだ生き続けるということが挙げられる。ここに共同体という段階で人間の不死というものが成立するだろう。個なる人間を集合してそれを一つの人間として考察することもまた、人間の生じたり滅したり発展を続ける事に関しても成立する事柄になる。人間は子孫を残すことにより存在すること、すなわちその存在を維持する事により不死であるが、それには共同体という概念を加えることにより、何代も渡り人間としての存在を不死ならしめるのである。それこそが人間が滅したり新たに生じたり、発展をしていく過程に於いて個人と同じ要素を持つようになるのではないだろうか。すなわち共同体となった人間もまた何世代に渡り生きていくことになる。生きていく個人はまた、生じることや滅することがあり、そして発展していく。個という焦点と共同体という焦点が重なり合う時に新たなる不死の概念が現れるのである。(1200字以内)

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