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大学中退 改

『今まで何回もアルバイトの面接などで言われてきたことなのですが、履歴書を見て物珍しそうに「何故、広島大学を中退したのか?もったいない」的なことはよく言われる。そして、決まって私はその場をごまかすために少し困るのであった。私が国立大学の文系学部を中退した理由は統合失調症という精神的な問題があったからというのがあり、それはそれで仕方のないことではある。しかし、日本という国ではどんな理由であれ、路線から外れてしまった者には世間は厳しい。大学の中退は精神障害共に一生涯背負うことになるスティグマ(負の要因・要素)となりかねない。広島大学卒業と広島大学中退じゃ全く違うことは身に染みてわかっている。これまで生きていて感じることなのだが、やはり、大学中退は大卒ですらない。資格としても、世間的にもである。中退してからいくら自分で専門書を読みあさったり勉強したところで何も変わらないのだ。大学すら卒業できなかった者にはやはり世間の風は厳しいのである。では何か現状を変える方法はないか。それはまず中退を気にしないことであろう。大学中退の最大のデメリットは中退の呪縛がほぼ一生続くというものだ。私はその呪縛を立ちきりたい。大学中退の社会的なデメリットよりも自分自身が中退したことを克服すること、気にしないで生きていくことが大学中退を克服するために大切な一歩なのではないだろうか』
と、いう記事を令和元年ごろに綴ってからおよそ5年の月日が経とうとしている。この間にその「中退」を気にせず生きていけるようになったかと言われたら、半分半分なところがあった。中退は20年近くも過去の事だから半分どうでも良いはずなのに意外ともやもやは消えていないようだった。現在も精神科病院にて食器洗浄、残飯処理、清掃の仕事をしているがそこではなかなか重労働ではあるが、心身ともに荒んだ大学時代なんかより人間関係などを含めてずっと恵まれている感や充実感はあるし、それらの仕事は病院の裏方ながら多くの人の役に役に立っているという自信はある。
それでも何かのもやもやが生じることが何かしらあるような気がした。結局、自分は中退というものを完全には克服していないのではないだろうか・・・。違和感の正体は今でも大学中退にあるのだろうか。私は心理学の専門家ではないからその辺のことは筋道を立てて説明はできない。いずれにしても人生の上を見ればキリがなし下を見ればキリがなしだとは思う。

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