大人になりきれない私が命を授かった話

この記事は、所謂子供おじさんと呼ばれる大人になりきれていない私が
小さな命を授かったことからスタートした生活の変化と心境の変化、そして
家族に対する気持ちを記録していく日記である。

こういったものを書くのは初めての経験であるため
個人のまとめのようなものとして記載することとする。

まず私自身のお話。
年齢は30代前半、IT業界で毎日パソコンと睨めっこしながら
毎日目まぐるしく変化する日々を過ごしている。
特に語れるスペックもない、平凡なサラリーマンだ。
中間管理職のため、上から下からと胃がキリキリする立場にいる。
ゲームが好きで、熱中すると周りが見えなくなるため自制中。
現在事業を立ち上げようとしている。

妻は私よりも年上で、ふわふわしたタイプの女性。
しかし真面目な話をするときは、超絶ロジカル人間になる。
芯が強くコミュニケーション能力も素晴らしいものがあり、
何より言葉への知識がとても深く、尊敬する人物の一人だと感じている。
彼女もIT関連の仕事をしており、今は二人とも在宅で働いている。

そしてもう一人(一匹)が愛猫のメス猫。
保護猫で、四兄妹のもとに生まれた甘えん坊だ。
毎日沢山話しかけてくれて、ちゅ~るに目がない。
妻が歌うだけで鳴きながら飛んでくる程に執着している。

そんなありふれた家庭の中で、
私がデイリーで行っていることというと大きく4つに分類される。

  • 所属している会社の仕事

  • 家庭生活における家事など

  • 趣味

  • 事業立ち上げの準備(資格勉強など含む)

この4つを上手くやりくりするために、私は妻に協力してもらいながら
少しだけバタバタな生活がスタートしたのは、2022年10月頃の話だ。
これから忙しくなるね、なんて話していたことがもう何年も前に感じる。

約2か月後の2023年初頭。
この生活は一転することになった。

何があったのか。
これが本日記の主題である。

その日、妻は体調を崩していた。
元々妻は病弱で、体調不良の状態が継続しがちではあった。
ただ、この日は何かが違っていた。
寝ても治らず、常に胸部に痛みを感じているようで通院の予約を入れようとしていた。
私は、咄嗟に乳がんや重大な疾患が脳裏によぎったが、私まで慌てていると
妻がパニックになってしまう。
そんな想いでなるべく普段通りに接することにした。内心バクバクだった。
妻は私以上に冷静であったため、意味はなかったかもしれない。

そんな状態が続き、様子を見ていたある時、妻がおもむろに
症状が「女性の日」の感覚に似ている、と言い出した。
胸部の痛み、体温の上昇、その他諸々…我々男性は把握できず申し訳ないが
この感覚に近しいもので他に理由があるとすれば何か。
妊娠だ。

妻は「まさかねー!」と言いつつも検査薬を試す。
結果、青い線が入っている検査薬を二人で拝むことになった。

もちろん、この検査薬のみでは一概に判断はできない。
日にちをおいてもう1回試そう、とりあえず病院に行って診察してもらおう
色んな話をしていたが、私は頭の中でたった一つのことだけを考えていた。

この日、私たち夫婦は親になったのだ、と。
少し気が早いが、私は確かにそう感じた。

何度か試した検査薬では、そのすべてに線が浮き出ることとなった。
婦人科での検診も終わり、結果は妊娠初期であるとのこと。
この時はまだ信じられず、お互いお腹の中に小さいのがいるの…?と
疑っている状態だった(失礼な話だ)。
諸々の手続きを終え、帰宅してからも漠然とした命に実感を持てず
しかし確かに存在する命に対し、私に育てられるのだろうかと、
大きな不安を抱くようになった。私はネガティブ思考なのだ。

これから何をすればいいのか。
何の知識を得て、何の対策を確認し、何のリスクヘッジを行い、
何に備え、何をいつ購入するのか…….私はこの時、何も知らない
無知な人間であり、頼れる人間とは程遠い場所にいた。

しかし、本当に不安なのはそこではない。
妻の体調と、無事に出産できるかという部分だ。

前述したとおり、私の妻は年上だ。
一応は、高齢出産に該当するらしい。
この高齢出産という言葉はあまりにもマジックワードすぎて
私はピンと来ていなかった。
35歳から該当となるこの高齢出産とは、35~39歳の流産率が
17~18%というのだ。決して低い数字ではない。

流産する可能性が少なからずある高齢出産
妻は病弱な体質

この2つの現実が、私の不安を駆り立てた。
巷ではハッピーマタニティライフ!きらきらー!みたいな
雑誌やTVを見かけることもあるが、私たち夫婦は一切それがなかった。
現実主義で、メメントモリ。
とにかく、命という尊いものに対し
私は正直、ビビっていたのだと思う。

しかし現実は待ってはくれない。
受け入れ、確実な準備を進めるしかない。
準備をするための知識を得るしかない。
無論だが、命を授かったこと自体は心から嬉しい。
しかし、喜びの感情よりもとにかく不安が強かったのだ。

そうして、私たち夫婦はあらたな結婚生活のスタートを切った。

この時、私はまるで妊娠生活を理解できていなかったと感じる。
悪阻というものが、どれだけ厳しく、過酷なものであると
露にも知らなかったのだ。


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