一区切り

一時退院の後、リラックスしようとベッドで横になるも
全くリラックスとはほど遠い痛みの連続。

この状態で本当にいいのか?と何度も病院を疑った。
翌日は定期健診だったため、そこまで耐えると妻。
内心ハラハラしつつも、どうにかそばで何かできるように考えるが
何か意識させなくできるようなものはなかった。
ただ、この時間から再入院まで、私からお産の話は一切しないようにした。

痛み→起き上がって耐える→痛み…これを繰り返すだけの時間。
水やご飯はのどを通らず、全て吐き出してしまい栄養も取れない。

この時間が本当に長く感じた。
どうか助けてくれ、どうにか楽にしてくれ、このままでは妻は痛みで
死んでしまうのではないかと、ずっと考えていた。

深夜も同じように痛みが続いた。
ただ、どうも痛み方が強くなっていて、声も出るようなレベルに達してきている。
私は病院に電話してみようと提案したが、妻はまた帰される可能性があると
リスクを考えていた。
病院の都合や判断は私には知見がないので分からない。
ただ、人がここまで苦しんでいるのに、なぜ返すんだ?と一般的疑問を抱いた。というか、恨んだと思う。病院には申し訳ない。

そして気が付けば朝。
定期健診は昼前だったため、準備をしつつ病院へ少しでも早く行ってよいか確認、そしてokが出たのですぐに向かった。

車椅子でないと歩けないほどふらふらな状態となり
産科に直行した結果、この状態なら、とすぐさま入院判断。

私もその判断を聞いて、心から安心した。
これで妻も少しは楽になれるのではないか、そう思った。
ただ、お産が進む以上、もっとつらくなるというのも理解していた。
ここから私は妻に会えない。
荷物を取りに帰り、助産師さんに手渡して帰宅した。

家から病院まではそこまで遠くない。
私はなぜか歩いて帰った。
歩きながら、とにかく祈った。
帰宅して猫にも話しかけた。猫はそっと目を閉じて聞いてくれた。
寝ていた。

この日はボロボロだったため、即座に私も寝た。

気が付けば夕方の5時。
食事を済ませ、一人でそわそわしていた時に
友人から偶然連絡が来た。

「調子はどうだ?大丈夫か?」この言葉が私を救ってくれた。
不安であること、何もできないこと、思ってることをがーっとチャットに書き出して、二人はうんうんと聞いてくれた。

いい友達を持った。本当に心から救われた。
妻とも仲良くしてくれている彼らには感謝しかない。

そこからしばらく友人達と話し、私は落ち着くことができた。
猫とも遊んで気を紛らわし、神棚に祈って1日を過ごした。

そわそわして眠れず就寝自体はかなり遅かった。
いつ連絡が来るか分からない状態だったので、マナーモードを切り
音量を最大にしてベッドについた。この時点で深夜3時だった。

早朝6時、破水の連絡が入る。
返信をして飛び起き、神棚にお祈り。猫にもお祈り。

家事をしながら連絡を待ち、その瞬間は訪れた。

写真が届いた通知で、全てを理解しそっと開くと
元気そうな我が子が泣いていた。

私も泣いた。無事だったか赤ちゃん。
そっと泣いた。無事だったか妻。

話を聞くかぎり、とんでもなく難産だったようだ。
0.5%という確率しかないお産時の回旋異常という状態だったようで
本人も赤ちゃんも、厳しい状況の中で頑張ってくれた。

親族に連絡し、励ましてくれた友人にも伝え
少し落ち着いたところで妻とビデオ通話が出来た。

顔が真っ白になって(元々肌が白い)血色も悪く
疲れ果てているであろうにも関わらず、笑顔で話してくれた。

私はまた泣いた。
父親にしてくれてありがとう。
母親になってくれてありがとう。
無事に産んでくれてありがとう。
一緒にいてくれてありがとう。

生まれてきてくれてありがとう。


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