一条戻橋の軍人 3(ナイアル×プリマデウス)
ナイアル×プリマデウス
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■追跡
戻橋に舞い戻る。
呼吸を落ち着ける間もなく、視界に入った光景は、赤と青との信号の明滅が繰り返す中で、その人工の面妖な明かりに照らされ、倒れる女性の姿だった。
身体から橋に血が流れ、青と赤の光に照らされた血の匂いが鼻孔に漂い、一層その場の空気を異様とさせる。
「犯人は…!?」
南郷さんが周囲をつぶさに見渡す傍ら、俺は倒れた身体を見ながら、じっとりとした嫌な汗を感じ、近づいてゆっくりと様子を確認するのと裏腹に、片手のスマホで手早く119を押していた。
「うぅぅぅ………。」
倒れる女性は酷く弱り、顔色も相当青い。腹部に刺し傷が見え、そこから血が滲み流れ出している。
「一条戻橋で女性一名、腹部を刺されました。救急車お願いします。」
電話で要点だけを伝えながら、かつて片足を突っ込んだグレーな事件経験で培った応急処置を施す。
「南郷さん、どうだ?」
「駄目です、もう逃げた後ですね。一応、二匹に探させました。」
「追えるのか?警察犬みたいだな。」
「追えるのは、虚構の痕跡のみですがね。彼女はどうですか?」
「救急車呼んで、応急処置中だ。運が相当悪くなきゃ、死ぬことは無いと思うが、安心できるわけでもないな。」
「私も手伝いましょう。」
犯人を逃したことは悔やまれるが、まずはやるべきことをやる。そうしているうちに、遠くからサイレンが聞こえてくる。
二種類の。
「警察にも通報を?」
「いや、してない。」
してないが。
「通り魔事件の噂になってる戻橋で、腹部を刺された通報がありゃあ、推して知るべしってとこかなあ。」
「確かに。」
口を動かしながらも、処置を続ける。
呑気な口調とは裏腹に、意識と手際は集中し、そして必死だった。
必死だった故。
俺達は、そこでようやく背後に立つ存在に気づくことになる。
「…………………………いつから居た…?」
手が止まり、意識が背中に集中する。
いや、背中で感じる視線の主に。
俺も南郷さんも、振り返れない。動けない。
倒れた女性を見つけた時とはまた別の、嫌な汗が、今度は酷く鋭い冷気のような緊張が、身体を縛り付けて離さない。
気づけば、流れ出ていた血が、いつの間にか消えている。
しかし、地面が鏡のように世界を反射し、俺達の背後を映し出す。
手には軍刀。
空には月。
サイレンはなぜか聞こえない。
戻橋が異様な空気に包まれている。
まるで、そこだけ、世界が孤立したように。
圧倒的な密度の“クオリア”が、その場を支配している。
その場の空間と… 時間を支配している。
時が圧縮されたような息苦しさと名状しがたさ。
時間に潰されるかのような、重力を全身に感じる。
(これは… これが、時間の神クセクサノスの力か… いや…。)
チクタク、チクタクという音が、どこかから聞こえる。
背後に立つ男の方から聞こえる時計の音。
チクタク、チクタク。チクタク、チクタク。
(誰だ…。お前は…。)
「お前は、誰だ。」
それだけを。
ようやく絞り出す。
「…………………………。」
しばしの刹那。
チン、という刀を鞘に納める音が鳴り、時の重力に圧迫されそうな鎖が、多少やわらぐ。
そして、やわらいで、ゆるんだ鎖の隙間に、冷たく鋭利な刃を差し込まれるような声が、喉元に突き立てられる。
「俺は大日本帝国軍人、時任計人。」
その声とともに、ヒュッっと喉がなるような音を聞いた気がした。
喉元を刃で、スッパリ裂かれたかのような悪寒がしたが、そうではなく、その音により、俺達を縛り付けていた鎖が、まるで刀で断ち切られるように解き放たれ、俺達に解放感が戻って来た。
「血が消える。手短に話す。」
男の方を振り返る。
全身を緑色の軍服に身を包み、深く被り込んだ帽子で、その表情は見えない。
「橋に再び血を流せ。そして、奴をここに連れてこい。」
そうすれば。
「あとは、俺が始末をつける。」
軍人は端的にそれだけ言うと。
赤く煙るように、その場から姿を消した。
「血… 血とともに、消えましたね。」
南郷さんに指摘されて改めて気が付く。
橋に流れ出ていた女性の血が、いつの間にか消えている。あの軍人は、流れ出た血をエネルギーとして、この場に存在していたということか?
「あの軍人、時任とか言ってたな…。かなり冷静だった。自分の状況を理解しているのか?」
とかく幽霊には、自分の状況を理解しているタイプと、そうでないタイプが存在するといわれている。
理解していないタイプは、自分が死んだことを理解しておらず、現実の人間と同じように、恐怖や情念といった感情を持っているが、自分が死んだことを理解しているタイプは、現実の人間のような感覚を逸した価値観を持ち、非常に危険であるため、近づかない方が良いというのが通説だ。
「死んでいることを理解して、邪悪に染まった存在は、私が取り締まる対象になるのですが、彼はどうやら、そうではないようですね。」
「俺達の味方… プリマデウスということか?」
「どうでしょうね。敵とか味方で関係を簡単に割り切れないのは、私達の通説ですから。」
「混沌に足を踏み込んだ俺達が、混沌を活かそうと考えてる場合はともかく、俺達が呑み込まれて、混沌そのものとなった場合は、定かではないって感じかな。」
「私と似て非なるもの… ですね。秩序を行う人間が、秩序的な人間であるか、あるいは混沌的な人間であるか。そのような観点から見ることで、多少は理解しやすくなるのかもしれません。」
「…まあ、あの雰囲気だし、大日本帝国の軍人とか言ってたし、多少は右寄りだろうなあ…。」
「さて、これからどうします?」
気づくとサイレンがかなり近くに聞こえる。
「私は、南郷という“ちゃんとした”身元証明ができますが、貴方はそうではないのでしょう?」
確かに。昔は探偵業で、それも若干グレーではあるが、ナイアーラトテップの何でも屋と化している現状では、俺の身分のグレーの暗さは、より深みを増している。
「スマン、俺は犯人を捜してみる。」
「ええ、後はお任せください。」
そうして、俺はその場を南郷さんに任せ、サイレンから逃れるように、広い通りから反対に、人気のない狭い路地へと入り込んでいく。
京都の路地は、こういう時には便利だ。
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明かりの灯る周辺以外が、完全に夜の暗い闇におちる、路地を歩く。
南郷さんの遣わした、二頭の犬が何処へ行ったかは分からないが、俺は俺で、意識を研ぎ澄ませて、犯人の手掛かりを探す。
無論、足跡やら、逃げた人影の目撃証言やら、そんなものは追わない。
そんなものを追って、犯人に辿り着けるくらいなら、とうの昔に、優秀である警察が捕まえている。
(俺に出来ることは…。)
優秀な警察の足元にも俺は及ばない。
されど、優秀な警察が出来なくて、俺に出来ることはある。
優れている、優れていないではない。適材適所というやつだ。
一条戻橋。
軍人。
流れ出る血。
赤と青の明滅。
五芒星。
晴明神社。
蘭皐 性深(ナンゴ・ソンシム)。
犬。
クセクサノス。
アフォーゴモン。
ヨグ・ソトース。
ナイアーラトテップ。
チクタク、チクタク。
感覚が捉えた、それぞれのキーワード、それぞれのクオリアのピースを広げ、それを組み合わせたりバラしたり、パラフレーズしたり、アナグラムする。
論理的な解釈や、因果関係は捨て去らねばならない。
それは、“俺に出来ること”ではない。
次元を超えた先のものを、論理で追おうとしても、現実的な領域で解釈しようとしても意味はない。
それは、穴の開いたアミで、虫取りをするようなものだ。
現実という穴の開いたアミで、次元を超えた虫を捕まえられない。
次元を超えた虫を捕まえるには、虫が残した、虫が関わる様々なピースを手掛かりに、そこから動きや修正、世界観や領域の輪郭を掴み取っていかなければならない。
それは見えないものをみようとする感覚を研ぎ澄ませる感覚。
見えない気配を掴み取ろうとする気配。
俺が今歩いている、現実の路地の感覚は消え失せ。
そこにポツポツと幾つかの点が浮かび上がってくる。
その点と点を結び付けて線とし。
線と線を結び付けて、そこから新たな空間を描いていく。
新たな空間の輪郭を掴み取れたら、今度はその空間を非ユークリッド幾何学的に湾曲させていく。
それをグルグルと動かしていくことで、洞窟の中で風を感じる場所から出口を突き止めるように。
次元を超えた虫へ近づく軌跡が見えてくる。
「ふうっ…、さて。」
息を吐き、気を持ち直す。
誰も居ない静かな夜の京都というものはいいものだ。
京都という土地のせいもあってか、心なしか普段より、より多くの目に見えないものの手掛かりを得て、より早く輪郭をかたどることが出来た。
「行くか。犬が早いか、俺が早いか。」
そうして歩き出す。
路地を曲がり。行き止まりまで歩き。そこからまた戻り。こっそりと“通り庭”を越え。同じ場所を三回回り。道端の地蔵を拝み。碁盤の目をジグザグに歩く。
傍から見れば、何をやっているのだというように見えるだろうこの道のりは、決して意味の無いものではない。
強いて言うなら、道に見えない数字が書かれていて、それを一から順番に進むと、ゴールが出現するというようなものか。
だから現実の領域を、ただ単に目的地を目指す最短を選ぶというような道のりにはならず。
電子配列のように。魔法陣のように。あるいは、儀式のように。
“決まった手順”を。
“決まった足順”を踏んで行かなければならない。
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(見つけた。)
路地を暫し歩いて辿り着いた公園のベンチ。
一人のサラリーマンが、人気のないその場所で座っているところを、見つからないように遠くから視界におさめる。
ふと気が付くと、俺とは別の離れた場所に、南郷さんの二頭の犬の姿を見つける。
(同時ってところかね。…さて、あとはアイツを橋に誘うだけだな。)
“現実的に”俺が今、出来ることは何もない。
男を尾行して住所を突き止めたり、犯行動機を探したり、家宅捜査をすることで、進展させることも出来ようが、それは最終的にゴールに辿り着かないルートでしかない。
どこかで、現実の領域では辿り着けない、見えない壁、見えない崖が出現し、捜査はそこで行き詰ってしまうだろう。
それに、そんな面倒なことは、俺がやるべきことじゃない。
俺がやるべきことは、橋に再び血を流したうえで、そこに男を誘い込むことだ。
男が橋から逃げる前に、現れた軍人と相対させることだ。
(その結果がどうなるのかは、“今は”分からないが…。)
それが、俺がやるべきことだ。
考えずに、感じなければ。
指先に捉われていては、月を目指すことは出来ない。
(アイツの“虚構の痕跡”は掴んだ。犬の方も… マーキングしただろう。)
この“痕跡”を掴むという感覚の時、俺はいつも昔マンガの“ドラゴンボール”で見た、“こ、これは悟空の気!”みたいな表現を思い出す。
そいつの顔や住所や名前に頼らずとも、そいつがどの辺りにいて、どんな状態か、大体察せるというものだ。
二頭の犬が去っていく。
俺も今日はここまでにしよう。
戻橋での今夜の事件は、明日の新聞やニュースで報道され、しばし話題になるが、人はまた膨大な情報に押し流されて、どうせすぐに忘れる。
そして、その頃に、また奴は戻橋に現れるだろう。
決着はその時だ。
その時を待ち、ひとまず今日はこの場を後にする。
(…南郷さんに、もう一度会っておかないといけないな。)
そう踵を返し、帰ろうとしたとき。
「君、こんな時間に何をしているのカネ?」
白髪に鷲鼻。
スーツにコートに、往年の雰囲気漂う男が。
「身分証はあるカネ?仕事の帰り?」
訝しそうな目で、じっくりと俺に迫り。
『風車 錠治』
見せてきた手帳には、そのような名前が見て取れた。
楽しい創作、豊かな想像力を広げられる記事が書けるよう頑張ります!