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ディープイン・アビス 2(ナイアル×プリマデウス)

ナイアル×プリマデウス
https://nyarseries.sakura.ne.jp/primadeus/

■ホー・セー・アナスン
映画の、U・ボートか、いや宇宙戦艦ヤマトでも、エヴァンゲリオンでも、パシフィック・リムでも良い。

なんかこう、もっと勇ましく、躍動感あるBGMが流れるような、そんな心持ちで、潜水艦は発進するんだと思ってたけれど、全然そんなことは無かった。

「俺はてっきり、鉄の棺桶で凍てつく地獄に沈められる恐怖に抗いながら、どこか使命感を持ったような雰囲気で向かうのかと思ってたよ。」

ヒムラーに手配してもらった潜水艦は、確かに乗り込んだ時は、武骨でいかにも第二次大戦の潜水艦でございといった外見だった。

しかし、いざ乗って、海に沈んでみれば…。

「内装は冷たい鉄から、暖かそうな木へ…。薄暗く狭苦しい船内は… どこか古めかしい… 神話やファンタジーの帆船の船内みたいだ。これが、アンタの世界感覚(クオリア)なのか、アナスン?」

虚構の世界を知覚できる俺達が見る領域は、その世界に強く影響を及ぼす者によって、世界の見え方が支配されることがある。

「そうだよ、私のクオリアによって、潜水艦は変えさせてもらった。ヒムラーには悪いけど、いかに科学的に頑丈とはいえ、あんな狭苦しい場所は、私には心配で心配で仕方がない。窮屈な場所にいるだけで、不安に押しつぶされてしまいそうになる。そんなのは、君も嫌だろう?」

確かに、想像とは全く違い、今 俺達が乗っている潜水艦は、まるで優雅な… 寝台列車のようにリラックスできそうだ。カプセルホテルとか、飛行機のエコノミークラスみたいな、ちゃちな狭さじゃない。大の字になって寝転んでも、十分余裕がある。

水がやや染み込んだような、けれども香ばしい、雨上がりの森のような香り。

天井からは、ゆらゆらとゆれる、適度に明るい灯が、いっそう心を落ち着かせ。

ビール… いや、ワインやジャズでも似合いそうなくらい、豊かに満ちた空間だ。

「こんな広さとゆとりは、外から見た時は無かった気がするが…。」

「それは、悲しい現実世界の法則さ。私は… 私は、虚構の優位性を主張するつもりはないけれど、それでも地に足をつけて、歩いて行ける強さを持つ、君のような人が羨ましいのかもしれない。」

「“アンデルセン”流の皮肉かい、そいつは。」

「いや、そうじゃない。気に障ったのなら謝るよ。私はもう、角を立てるような気概は無い。ただ、虚構の世界を漂って、混沌の力に抗おうとせず、その流れの中に身を委ねていたい。そして、私を必要とした人に、無理のない範囲で力を貸してあげたい。」

「素直なんだな、アンタは。」

「どうだろう。この世界を大切に思ってるだけさ。虚構の世界は、誰かに否定されることは無いからね。」

「その点についちゃ同感だ。アンタが混沌に身を任せる流れなら、俺は抗わずにいなす柳だよ。違いは、地に足が着いているかどうか… と、言うよりも、死んだことが有るか無いかという違いに過ぎないのかもしれない。」

そう くだを巻きながら、いつもの癖で、懐の煙草に手を伸ばして、一本咥えたところで、アナスンが穏やかに首を左右に振り、止められる。

「おっと、スマン。流石に、ここではな。」

「空気の逃げ場がない海中の潜水艦というのは、現実的な意味合いだけじゃなく、虚構的な意味合いでも、ある種の密閉空間なんだ。危険だとか、煙草が嫌いだとかじゃない。目的地に着くまで、感覚値としても、数日はかかるだろう。その間、この場所をリラックスできる状態に保っておくことは、私は今 一番大切にしておきたいことなんだ。これから襲い来る、恐怖のためにも…。」

「恐怖?アンタは、今回の… このナメクジみたいな像(スタチュー)の正体について、何か知ってるのかい?」

そう言って、ヒムラーから預かってきた例の像を取り出す。ヒムラーには、これが美しいアーリア人に見えていたそうだが、アナスンは果たしてどうだろうか。

「グルーン。そのナメクジは、グルーンと呼ばれている神話生物だ。美しい青年に見えることもあるが、その正体は、やはり私達が今 像を見ているとおりの異形。悪夢によって溺れさせ、狂気に引き込み、そして最終的に、その魂は海底の神殿に引きずり込まれてしまうだろう。」

「海底の神殿ね…。ルルイエとは違うのか?」

海底の神殿といえば、この界隈じゃ、クトゥルフの寝床であるルルイエが有名だ。

「合っているとか違うとかは、やはり見る者の捉え方次第かな。それをルルイエと呼ぶか、単に神殿と呼ぶか、アトランティスと呼ぶか、竜宮城と呼ぶかは、結局どのレンズで世界を見るかということでしかない。」

「美しい青年として見るか、ナメクジの化物として見るかも?」

「それについても、ヒムラーは美しいアーリア人として見たかったから、そのように見た… と、言えるかもしれないけれど、グルーン自体が、ナメクジとしての姿を隠し、美青年としての姿を手段としても用いることがあるから、なんとも言えないね。偽の姿、真の姿。外見の姿、内なる姿というよりかは、刀を見るか、サムライを見るかということかもしれない。」

奇妙な例えだが、日本人の俺に理解しやすい例えに落とし込んでくれたのだろうか。

刀かサムライかでいえば、パッと見の美しさが映える刀の方に、確かに目が行きがちかもしれない。刀を業物とするか、ナマクラとするかは、それを扱うサムライに委ねられていたとしてもだ。

「なるほど。それで俺達は、これから襲い来る悪夢の恐怖とやらを避けて、神殿に辿り着くために、なるべくリラックスして、正気を保っておく必要があると。」

「いや、ちょっと違う。私達がここで、ただこうしていても、神殿には一生辿り着かないし、恐怖も襲ってこない。」

「…? となると、どうすりゃ良い。」

襲い来る恐怖を躱して、神殿を目指すんじゃないのか。

「神殿に辿り着くには、悪夢を見て、その悪夢の中で、神殿の場所を突き止める必要がある。そうでなくては、神殿の場所は分からない。」

「神殿の場所を知るために、悪夢を…。」

やはり、どこかルルイエに似ている。エキセントリックな芸術家が、大いなるクトゥルフの思念を夢で見て、その姿を浅浮彫に描き出したように、目的地への手綱を掴むには、夢でそのヴィジョンの輪郭を、鮮明に掴み取るしかないとでもいうのか。

「虎穴に入らずんば虎児を得ず… か。」

「私達は、ヒムラーが得てしまった虎児を、返しに行くのだけれどもね。」

俺のつぶやきに、苦笑交じりでアナスンが応える。

「違いない。で、具体的にどうする。」

「リラックスして寝る。そして悪夢を見る。悪夢の中で神殿の場所を探す。場所が掴めたら、神殿に向かう。掴めなかったら目覚める。神殿の場所が掴めようが掴めまいが、私達は悪夢を見たことで、精神を消耗する。ゆえに、リラックスできるこの場所で、正気を癒す必要がある。」

「寝て起きての繰り返し…。」

「基本的には、そう。けれど、グルーンも馬鹿じゃない、いや寛大じゃない。自分の周囲を小さなハエが飛び回ってたら、おそらく叩き落しにくるだろう。」

ハエとは俺達の事だ。

「つまり、グルーンが動き出す前に、とっとと悪夢を見て、神殿の場所を掴み、像を返して帰ってくる。そういうことだな?」

「その通り。そして、深く酷い悪夢を見れば見るほど、神殿の位置はよりハッキリ掴み取れるようになる。だから、悪夢の浅瀬でパシャパシャ水遊びをしながら、神殿を探してもしょうがない。」

「一気に潜って、一気に掴む。」

「そう、人の知り得ぬ、未知のアビスへ。深淵は海の宇宙という虚構の世界だ。」

そうと分かれば、とっとと寝るに限る。

「煙草の代わりに寝酒を貰おう。ウイスキーか何かある?」

「酒もやめておいた方が良い。アルコールで虚構の世界に干渉できる者も居るけれど、君はそうじゃないだろう?夢で目覚めたら、世界が酔っぱらっていたら大変だ。代わりと言ってはなんだが、お話をしてあげよう。」

「寝る時に話を聞くなんて、ガキの頃以来だな。それじゃあ、折角だしお願いしよう。良い悪夢が見れる話を頼むぜ。」

俺は腕で枕を作り、ゴロンと横になる。

暫しして、アナスンの弱弱しくも力強い、どこか不思議で怪しげな声が、心地良く、心地悪く耳に入ってくる。

それは人魚姫が、人魚になる前の話。

人魚から、人間になった彼女は、実は元々人間であり、かつて海に呼ばれて、人魚という存在となった。

長き時を生き、そこで彼女は過去の記憶を忘れ、自分は元から人魚であったという、記憶に上書きされていく。

そして、いつの日か王子と出会い、結ばれることになるのだが。

それは過去に、自らが産み落とした我が子であったという証拠が出てくるという。

なんとも、インスマウスの鼻につく嫌なにおいが漂う、人魚姫の有り得たかもしれない物語だった。

こいつは…。

こいつは、良い悪夢が見れそうだ。

楽しい創作、豊かな想像力を広げられる記事が書けるよう頑張ります!