見出し画像

ディープイン・アビス 6(ナイアル×プリマデウス)

ナイアル×プリマデウス
https://nyarseries.sakura.ne.jp/primadeus/

■グルーン
俺達は爆発し、弾け飛んだ。

そして即座に、固く冷たい壁に強烈に叩きつけられ、そこが暗く狭い、潜水艦の中と気づく。

次いで、つい数秒前に体験したであろう景色が、フラッシュバックの走馬灯のように、意識を駆け抜けていく。

「何が… 何が起こった!?無事か、アナスン!」

「ええ… まったく、酷いことをしますね。相当お怒りのようだ。貴方も、ここが潜水艦に見えていますか?」

虚構の世界は、人それぞれの捉え方によって、違う見え方をすることもあれば、世界を支配する誰かの感覚によって、見え方が統一化されることもある。

最近は、こういうことが多く、自分達の場所が変わった時は、都度都度確認をするようになっているのかもしれない。

「あぁ、潜水艦だ。今の爆発はなんだ… グルーンのせいか?」

「おそらくは。海底の宮殿、もとい深淵のステップに居た彼女。クトルンが、グラーキの元に、ヒムラーが持ってきた像を返してくれたのでしょう。」

「その意味に気づき、グラーキが怒った。そして俺達は、その矛先になったってことか。」

「おそらくは。私達を襲った、この体の痛みも、グラーキが仕掛けたものでしょう。」

「夢の中で、ほっぺをつねって、痛ければ現実、痛くなければ夢だとか言うけど、すると俺達は今、現実まで戻されたのか?」

「痛みを感じさせる夢だったらどうです?少なくとも今は、夢か現実かに、意味は無いでしょう。それよりも…。」

潜水艦の外か。

ゴゴゴゴゴ‥‥ と、潜水艦と、その周囲をまるごと揺るがすような、嫌な振動と気配が近づいてくる。

バ ウ ン ッ !!!!!

次いで再び、俺達の身体を、爆発するような痛みが襲い掛かり、再び潜水艦の壁に叩きつけられる。

「ぐぁあっ!!」
「む゛ぅう゛ッ!!」

状況がよくわからないが、体の内部で、爆弾が爆発したような感じだ…!傍から見れば、一人で勝手に壁に突っ込んでるマヌケな姿に見えるかもしれないが、この脅威をどうしようも出来ない俺達にとっては、危険極まりない忌々しき状態だ。

ゲホッと、軽く喀血する。

体の中、どこかが傷つけられたに違いないが、これが何度も繰り返されると、容易に命に届く。

「逃げるぞ、アナスン…!」

言いながら、目に止まった潜水艦のハンドルを握る。もっとも、潜水艦の操縦方法はもちろん、計器の見方なんて、分かるわけもない。

…が、これはあくまで、形にすぎない。虚構と現実の、いや 現実と虚構の区別をつけなければならない。

現実には現実のルールが当然あり、虚構には虚構のルールが当然ある。

目の前の虚構のハンドルや計器を、現実のルールで捉えてしまっては、俺はこれが全く分からず詰んでしまうだろう。

「操縦は私がやります。貴方はグルーンの妨害を!その方が得意でしょう?」

ハンドルを前に、躊躇していた俺に変わり、アナスンがハンドルを握る。すると、それらは途端に、青く美しく輝く大小の水晶へと姿を変える。

水晶に触れているアナスンの細く長い手や指には、いつの間にか鱗がびっしりと浮き上がり、まるで水棲生物のようになった手指が、ピアノを弾くように動き出すと、潜水艦の内部一面に、フジツボや珊瑚が広がり、低く唸る機械音ではなく、まるで人魚の美しい歌声のような音を響かせながら、潜水艦はゆらりゆらりと、徐々にスピードを上げ、滑らかに上に向かって進みだす、いや、泳ぎ出した。

「私はヒムラーのような軍人ではありませんから、機械には詳しくありません。なれば、それを如何にして活かすかは、自分のやり方で模索するしかないのです。現実では、こう即座に容易くとはいかず、そこに時間を要しますが、結局は自らの捉え方で始めることを始めなければなりません。さあ、貴方には貴方のできることを!」

潜水艦が動き出したことで、グルーンとの距離がやや離れたのか、緊迫や体の負担が軽くなり、俺は余裕を取り戻す。自らの力で、自らが得意とする世界感覚で、いかにしてこの状況を打破すべきかに、感覚を考えを集中させることに、意識を向けられるようになる。

(艦内には何がある…?)

魚雷、機雷、アンカー、ネット、音波、デコイ… 色々あるぞ。しかしこれらは、ハンドルや計器と同様に、形にすぎない。これを自らの世界感覚(クオリア)を以って活かす必要がある。

(俺の世界感覚は、"怪異"だが、さて…?)

相手は神話生物だ、魚雷や機雷といった威力妨害は、正直あまり期待できないし、"敵を倒す"に近いやり方は、ちょっと違う。そもそもの問題は、こちらにあるのだ。"怒りを鎮めて頂く"といったような、日本人的な神との向き合い方が良いだろう。

それこそ、極彩色の海岸で出会ったリリウの訓えのような。

俺達の祖先は何をしてきた?捧げもの、貢物、結界、封印、儀式… このような非科学的なものを、潜水艦に積まれた科学の申し子と組み合わせる必要がある。

バウンッ!!

「ぐっ!!」
「ぅう゛ッ!」

先ほどではないが、再び肉体が爆ぜる。悠長に考えている暇はない…!

俺は即座に音波装置… ソナーに手を付ける。海岸での事を思い出しながら、ソナーに触れると、それは鈴に姿を変え、チリーン… チリーン… といった音が反響して響く。現実の音ではない。艦の外に、鈴の波紋が波となって視覚化し響いていく。

そして、しばしすると、音がやまびこのように反響して戻ってくる。

しかし、戻ってきた音は酷く歪で、荒々しく断絶されている。まるでグルーンの怒りが、鈴の音色を捻じ曲げてしまったかのように。

俺は、海岸でのリリウの言葉を反復しつつ、グルーンに同調するように、怒りを鎮めるように、鈴を響かせていく。この方法に、怒りを鎮める科学的な実証や効果があるわけではない。

これは対話だ。

神前に舞う神楽であり、未知との遭遇による交信。イルカやコウモリの超音波。

相手を理解しようと努め、こちらを理解してもらおうと努める、基本のコミュニケ―ションだ。

バウン!

「くっ」
「うぅ…!」

怒りは鎮まらない。

しかし、アナスンの操縦と、俺の対話があってか、最初の爆発ほど致命的ではない。

(これなら… これならいけるか…!逃げられるか…!?)

そう思った瞬間だった。

「………………………ッァ。」

俺の目の前に、幾つもの巨大な目玉があった。

どこから伸びてきたのか、驚くほど巨大な目玉が。

潜水艦の外から、ギョロギョロと見回していた。

しかし、それの意志がどこへ向いているかは分からない。

意識がどこへ向いてるかは分からない。

その分からなさと強大さ、宇宙のように広大な、海底以上に深淵なる未知の恐怖に、すぐにでもその場から、逃げ出したくなる。

逃げている真っ最中でありながら、逃げ出したくなる。

潜水艦は依然として泳いでいる。素早く優雅に泳いでいる。

そして、鈴もチリーンと鳴り響いている。

もはや反響は無い。

いや、反響をする必要すらないのか。

その、ただ鳴り響く鈴の音が、いっそう静寂の恐ろしさを際立てる。

…しかし。

しかし、グルーンは、こちらに危害を加えてくる様子は無い。

肉体が爆ぜることもない。

ただ、どこに意識を向けているのか分からない巨大な目玉が、潜水艦の外壁を、なめくじがゆっくり這うように、ずるずると、矯めつ眇めつ蠢く。

「な… なん…。」

なんなんだ。

目の前の圧倒的な異形に対する恐怖と、一思いに殺してくれという恐怖の挟間で。

あるいは、こんな異形に触れられるくらいなら、自ら命を絶ちたいという恐怖の挟間で。

挟間で、猛烈な不安に苛まれながら、俺は動けないでいる。

きっと、平和な日常を生きている常人であれば、目の前のそれが理解できず、気絶することで、意識を手放せる幸せがあっただろうが。

半ば、こちら側に足を突っ込んでいる分、安易に意識を手放せず、それがまた、一層の蠱惑的な恐怖の渦中から抜け出せないでいるのだ。

…………………………………。

…………………………………。

…………………………………。

「はっ!」

気づくと、そこにもう巨大な目玉は無かった。

「消えた…?」

潜水艦は、優雅に上へ、上へと進んでいる。

鈴の音は、チリンチリンと鳴り響いている。

先ほどより、周囲が仄かに明るい。

上からさす光が、地上が近いことを理解させる。

「なんだったんだ…?あれは…、見逃してくれたのか?」

アナスン?アナスンはどうした?

ふと、アナスンの方を見やると、最初にハンドルに手を付けた時と、依然変わらず、水晶に手を当て、潜水艦を操縦していた。

「おい… アナスン。お前は大丈夫なのか?」

「ええ、私は何も問題ありません。」

しかし、何も問題はないというその顔には、表情こそ崩してはいないが、頬には両目から涙が流れていた。

「ヤツが怖かった… ってわけじゃなさそうだな。いや、恐ろしいのは事実だったが、どうした?」

「…帰ったら、ヒムラーを一発殴ってやろうと思います。」

…? どういうことだよ。

「貴方は… グルーンが巨大な目玉を持った異形に見えたのでしょうが、私にはそうは見えませんでした。」

「そうなのか?…いや、ちょっとまて、それはおかしい。あそこまで強大で、さぞ強固に世界を支配する、世界感覚(クオリア)を持っているような奴が、人によって見え方が違うとかあるのか???」

それは、虚構の世界のルールに反している。現実の世界のルールと違うことは言うまでも無いことだが、強力な個性を持つ存在がいたとして、そのイメージが見る人によって変わるというのは、あまり信じがたい。曖昧で、多角的で、そこまで強いイメージを持っていない存在ならいざ知らず…。

「私には… いえ、私にもグルーンは、美青年に見えましたよ。ヒムラーが見たアーリア人と同じかどうかは分かりませんが、少なくとも異形には見えませんでした。貴方より私の方が、彼と世界感覚(クオリア)が近かったせいもあるのかもしれません。彼は今の私と同じように、涙を流していました。そして… その瞳は涙で潤み、どこを見ているのか分からず、どこに意識が向いているのかも分かりません。強いて言うなら、自身の内面を見ていたのかもしれません。」

「泣いていた…。」

「私は彼に共感してしまったのです。ヒムラーに悪気があったとも思いませんし、ヒムラーに罪があるとも思えません。しかし、貴方が鈴の音で、グルーンに同調しようとしたことと同じように、ヒムラーを一発殴ることで、この件は腑に落ちると思うのです。」

「なんか… らしくないなアナスン。」

「ええ、全くらしくない。」

けれど、吹っ切れる落とし所としては、丁度良いのかもしれない。しかし…。

「なあ、アナスン。気になることがあるんだが。」

「なんでしょう?」

「人魚姫の悲恋は、アンタの実体験が多少なりとも影響が出てるんだよな。」

「さあ… どうでしょう。」

「これは俺の勘繰りだが、アンタまさか、こうなることを始めから知ってたんじゃないだろうな?」

「さあ… どうでしょう。」

「人魚姫ってのはもしかして…。」

「海面が見えてきましたよ。」

「………………………。」

「もしかして、なんですか?」

「いや、なんでもない。忘れてくれ。」

像は返した。グルーンからは逃げられた。あとは二度と、こんなことをしないようにヒムラーを殴れば、今回の件はこれで終わりなんだ。

「そうですか。気になったなら、いつでもお答えしますよ。」

「いや、いい。現実と虚構の境目が俺の居場所だから。」

折角、陸地に戻ってきたんだ。

もう一歩踏み込んで、今度こそ帰れない深淵に引きずり込まれる気は無い。

楽しい創作、豊かな想像力を広げられる記事が書けるよう頑張ります!