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少女小説ガイドはジャンルのお葬式だった

大人気の少女小説ガイドを手に入れたわけだが、読んでみてこれは少女小説のお葬式だと思った。


過去の名作とライト文芸やライトノベルから無理くり寄せ集めてみました感の強い選書といい、まさしくお葬式のスピーチ文めいたコラムといい、全体的なムードがそうとしかいえない。

コバルト文庫実質廃刊の時に少女小説が滅んだのをみんなわかっていたと思う。これはその時に大往生した少女小説を振り返って天国へ送り出す悲しい本だ。

なんでこんなに怒っているのかというと、少女小説が事実上滅んだのをわかっていながらそれを認めず、活きのいいライト文芸やライトノベルに群がって名誉少女小説認定してしまうこの本の態度がゾンビのようでみっともないからだ。

私は少女小説の、あまり良い読者ではなかった。十二国記とかリリミスとか、後はライト文芸へ「越境」した作品をいくつか読んでたくらいで、読書活動のメインフィールドはライト文芸な訳なのだけど、メラメラと燃える火の粉をライト文芸まで撒き散らさないでほしい。

ライト文芸や悪役令嬢は本当に、軽率に、「少女小説」と言い切っていいのか。

確かにライト文芸も、悪役令嬢も、そして婚約破棄も、女性の読み手を意識して書いているというのはわかる。わかるけれども、これらは「少女」ではなくどちらかと言えば大人に向けて作られているプロダクトだと思う。

ライト文芸の草分け的存在であるメディアワークス文庫が電撃文庫を母体としていることや、その背景にライトノベルの「越境」ブームがあったことから分かるとおり、ライト文芸はそもそもライトノベルを源流とするジャンルである。少女小説の文脈は、富士見L文庫やオレンジ文庫が創刊され、ライト文芸というジャンルが確立されたところにフリーライドしてきたものだ。

さらにいえば悪役令嬢は令嬢概念をサメやニンジャや勇者や魔王のように解体脱構築するかたちで男性向けにも逆流してきており、女性だけのものではなくなってきている。悪役令嬢に男性的モチーフを結びつけた拓銀令嬢(『現代社会で乙女ゲームの悪役令嬢をするのはちょっと大変』)や大相撲令嬢が男性向けとして売られているのがその証左である。

選書のセンスもちょっとこれはというものがあって、まず少女小説の定義をろくにしないまま選んだために少女小説というジャンルの輪郭線が曖昧になっている。選者によって少女小説の定義がまず違うために男性主人公の男性向けライトノベルやライト文芸が安直にぶち込まれたりそうでなかったりしている。

現在進行形の作品や直近作が少ないのも不満で、少女小説がもう死んだことをまざまざと見せつけられているようだった。

だいたい、少女小説が滅んだのはコバルトやホワイトハートの新刊を買わないで、知らないで、コバルト実質廃刊のようなときだけ顔を出していっちょまえに語りだす読者のせいだ。言い換えれば、たくさんの読者が「今の」少女小説には無関心で、いつまで経っても十二国記やマリみてを崇めるところで立ち止まってしまったからこうなった。

そんな状況なのにライト文芸やライトノベルを名誉少女小説扱いして、今のぺんぺん草も生えない少女小説業界の惨状から目をそらして、「少女小説は不滅です!!!」と叫ぶのはあまりにも盗人猛猛しくて生産性のない虚しい行為ではないか。

ライト文芸やライトノベルの中に少女小説としての「読み」が出来る作品があることは否定しない。

だが、そういう「読み」をする前にいったん立ち止まって「少女小説とは何か」という問いかけをしてもらいたいという話だ。

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