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「感動」を求める人間を全力で刺しに来る異形の超怪作『わたしはあなたの涙になりたい』


 ガガガ文庫新人賞5年ぶり、満場一致の大賞受賞作にして「何故ライト文芸として出さないのか」と議論を呼んでいる四季大雅先生の『わたしはあなたの涙になりたい』を読みました。

 感想としては、
とにかく歪で尖った、モンスター級の新人デビュー作であり怪作SF
 に尽きます。

 「塩化病」という身体が塩になって死んでいく奇病により母親を失った少年と、母親から虐待を受けている少女の交流が主の話と書くと、ライト文芸でありがちな「キラキラ難病もの(死のリアリズムを排除したなんか綺麗な感じの難病で死んでいくヒロインとの恋愛を描いたライト文芸のジャンル)」に見えるし実際そうなんですが、恐ろしいのはキラキラ難病とそれに伴う「感動」を描く気があまり無くて、むしろそういった作品群で「感動」を期待する読者に思い切り冷や水を浴びせかけるつくりになっているところなんですね。

 というのも、東日本大震災や東欧の侵略戦争といった巨大な破壊の力から難病に至るまで個々人の悲しみを「感動」「共感」としてパッケージングしてそこに自身の欲望を投射・消費していくグロテスクさをありありと描いているからです。
 特に震災に関しては、2000年代以降の(震災に直面した)福島が舞台なだけあって非常に生々しい被災描写が存在し、『ビブリア古書堂の事件手帖』や『むしめづる姫宮さん』に連なる震災ラノベとしての側面も持ち合わせています。

 それと同時に強烈な同時代性を孕んで「しまっており」、決して古臭さを感じさせないどころか分断が進みあらゆる事象が「物語化」され消費されている今の世相を凄まじく反映しているつくりになっています。

 読んでいて恋愛小説としてはいやにゴリッとした不気味な感触を覚えるのは、作中でも何度も言及されているとおり意図的なものです。

 勧善懲悪では括れず価値判断を読者に委ねてくるような登場人物の複雑な造形、ラブコメブームへの嫌味、そして読者をこの物語を感動消費する当事者にしようとしてくる新人賞受賞作でしかありえないメタフィクショナルなギミック……。

 難病ものという外殻を一皮剥いたら、作者のおぞましいまでの憤りと悪意が姿を現すとんでもないクセモノがこの作品の正体なので、キラキラ難病もののライト文芸を読んでいる層よりも『ほねがらみ』あたりを愛読するジャンル小説のファンにこそ刺さる内容なのではないかと思います。

 この作品が影響を受けていると思われる作家は2人いて、それは斜線堂有紀と伊藤計劃です。

 語り手に欺瞞を含ませて読者に作中の価値観をジャッジさせる構造や難病の当事者に容赦ない欲望のまなざしが投射されていくという内容など、特に斜線堂有紀のMW文庫の単発作品群(『夏の終わりに君が死ねば完璧だったから』など)の影響は明確に受けていると思いました。

 伊藤計劃に関しては終盤のSF要素や作中で『ハーモニー』のオマージュが存在することからほぼ確信犯といってよいですが、むしろ内容構造は『ハーモニー』よりも『虐殺器官』に近く、また伊藤計劃自身がその「死」を(主に早川書房によって)祭り上げられた作家であることを加味すると作中テーマとも重なっていて、またここにも作者の仕掛けた悪意が見え隠れしています。

 ちなみに「何故ライト文芸として出さないのか」という点についてですが、私はライト文芸として出した方がこの作品が潜ませている悪意がより鮮明になって良かったのではと思っています。

 いくらガガガ文庫がライト文芸路線に力を入れているとて、ライト文芸から出した方が作者の誘導したい「読み」にハマってくれる読者が多いからです。

 出版コストの増加に伴ってライト文芸レーベルが単行本へのシフトを迫られている一方で、ライトノベルレーベルがライト文芸に急速に接近している現状もありますが、これ以上話すと脱線してしまうのでここまでにしておきます。

 とにかく、この作品に関しては「泣けるライト文芸」として読むよりも「メタフィクショナルなSF/ミステリ」として読む方が遥かにスリリングで面白いと思うので、ハヤカワや創元を耽読しているジャンル小説マニアにこそ読んでいただきたいと思いました。

 

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