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命よりも大切なもの


国際文通アプリ SLOWLYなるものに登録してみた。

https://slowly.app/ja/

出会い系みたいなアプリは正直興味なかったが、純粋に昔のエアメールのようなゆっくりしたメールのやりとりができる、という噂を聞いて、お試しで昨年末あたりに登録してみた。

このアプリ、世界中の人とメールのやりとりができるのであるが、その相手の国との距離によってメールの届く時間が変わるのである。

例えばアメリカであれば一日かかり、香港あたりなら8時間程度。

しかも、相手からメールが発送されると画面上に「もうすぐ手紙が届きます」という表示が出て、相手の国から手紙が飛んできている様子が画面で確認できるというなんともエモいアプリである。

登録すると、こちらから誰か興味のある相手を探してメールをすることもできるし、待つことも出来る。私の場合、ものぐさななので、こちらからわざわざ文通相手を探すことなく待ってみたが、まあ来る来る、メールはどんどんいろんな国からやってくる。

面白そうな人には返信してみて、やたらとWhatsAppなどに誘ってくる怪しげな人がいると返信しなかったり。さまざまな国の人との交流が続いたり途絶えたり、ということが続いたある日。

とある20代のロシア人男性からメッセージが届いた。その人、(仮にN君としよう)は、研究機関に勤める生物学者で、詩や美術、自然を何よりも愛するとてもまじめな青年であることが分かった。私が日本画を長く描いていることに興味を持ち、話がしたいと連絡をくれたのだった。

日本の詩についても知りたいとのことで、私は英訳した日本の詩を、彼はロシアの詩人による詩を英訳し、お互いに送りあい、感想を述べあうようになった。

N君は、中原中也の詩は読んだことがあったが、金子みすゞは知らなかったと言い、私が送った英訳版の「わたしと小鳥と鈴と」を読むと「シンプルな言い回しで核心に触れることを伝えるのは、その実本当に難しいことなのに」といたく感激する感性の持ち主だ。

そんな心温まる交流の中、ロシアのウクライナへの軍事進攻が始まった。

彼から届いたメールには悲痛な心情がつづられていた。

「しばらく手紙は出せないだろうと思う。今回の件。(ロシアがウクライナを攻撃している)僕にはウクライナに親戚がいるんだ。痛み、悲しみ、そして恥ずかしさ・・・もっとだ。言葉すらない」

そんな気持ちの中、彼が自らロシア語を翻訳し送ってくれた詩。

"Chaldea shepherd":

I moved away from you by silence of the decades,
today I daydream about you, my friend.
I see the night and hill, naked steppe around,
I see solemn night by quiet starlight.

You look into the distance; you from a hilltop
follow stars, you recognize and count them,
envisage their circles, and their tilts. You thoughting
and secrets of the worlds becomes clear for mind.

Divine shepherd, among the quiet and darkness
you heard the names, you've seen the heaven light:
you are the first who depicted ways their planets,
and found the titles for Zodiac signs.

And let the solitude, naked steppe around;
that night you learned happiness of dreaming,
and in this joy let me unite for a moment
with you; my honest friend, my unknown friend.

Valery Bryusov (1873-1924).

「必ずまた手紙で詳しい説明をすると約束するね」

手紙の末尾にそう彼は書き添えてくれていた。

様々な気持ちが交錯したその翌朝、ふとテーブル上にあった「ヨーロッパ産」と表示された黄金色のはちみつに目が留まり、その瓶を手に取ってみる。そのラベル上に記載された産地名 ウクライナという文字に目がいく。

彼は以前こう言っていた。

「僕は子供のころ休みになると必ず、森で養蜂を営むおじいちゃんのうちで過ごしたんだ。僕はChild of natureなんだよ」

平和を祈らずにはいられない。

そんな中、近所に住んでいた10年来のルーマニア国籍の友人で、現在は家庭の事情でルーマニアに一時帰国している友人から連絡が入る。

今回の武力衝突をうけてNATO加盟国のルーマニアには次々とNATO軍が入り、物々しい警戒態勢が敷かれているそうだ。ウクライナと隣接する彼女の国にはもうすでに5万人以上のウクライナ難民が入国してきており、その大半が子連れの若い母親だとのこと。子供たちの多くは不安にかられ、泣き叫んでおり、そんな光景に毎日胸がつまる思いだ、と綴られていた。

何よりも尊い人の命を犠牲にしてまで手に入れたいものっていったい何なのだろう。

命より大切なものって何だろう?

いたたまれない気持ちの中、散歩に出た。歩く道筋で河津桜が咲き始めていた。

時は春。

両国に春がやってくるのはいったいいつなのだろうか。

ゆっくりとN君の手紙を待つことにしよう。平和を祈りながら。



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