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日本語教師としてのスタートは遅い

5つのきっかけ

私のこの日本語教師という仕事のスタートは遅いです。もともと普通の学校教育に携わっていましたが、体調を崩して退職後、専業主婦として10年ほど、子育てをしていました。

そろそろ子育ての手も離れ、パートでもしようかと考え始めて、公文の研修を受けたり、塾や書店の面接に行ったりしていましたが、当然ながら、うまくマッチングできる仕事に出会えず、少々腐っていました。

そんなとき、退職後、日本語教師をしていた父に日本語の先生にでもなってみたらと言われたのが、最初のきっかけです。

当時は、父がしていたにもかかわらず、現実的な仕事のようには思えなかったのですが、なぜかその気になってか、ならずかは覚えていないのですが、どんなところかと日本語教師養成講座を覗きに行ったのが、2つ目のきっかけです。

なんか面白そうだなと思い、50万強の高い受講料にもかかわらず、なぜかすぐ決めてそれを払い込んでしまったのが、3つ目のきっかけです。そして、週3回通学し始めました。久しぶりにする勉強はなんだか楽しく感じられて、日本語を外国人に教えるという観点から学ぶ日本語は新鮮でもあり、すごくハマりました。

講座には通っていたものの、実際、教師になるかどうかは定かではなかったのですが、50万も出してしまった以上、回収せねばと思ったのが、4つめのきっかけです。それで、日本語教育能力検定試験も受けました。もちろん、受けなくても仕事はできましたが、年齢的にもやはり証明書が必要だと思ったからです。当時、狭き門と言われ、落ちて普通とは言われましたが、ここで落ちては50万が無駄になるという一念で、必死に勉強しました。試験勉強を続ける気にはさらさらなれなかったので、1年後に再チャレンジという選択肢はないと思いました。

そして、この行きがかり上、日本語学校を受けざるを得ないという結論に至り、本当に面接は嫌だったのですが、嫌々、面接にまで行ってしまいました。そして、5つ目のきっかけは、なぜか、そこの日本語学校の校長が私を気に入ってくれたのか採用してくれたことです。もちろん、採用してもらうつもりでは受けてはいますが、若くもないのに、まさか採用されるとは思いませんでしたので、正直驚きました。

縁あってここに来たと思う

日本語教育検定試験の結果は採用後に発表がありました。ギリギリでしたが、合格は合格。とりあえず、曲がりなりにもスタートラインに立ってしまいました。

そんなに深く考慮して始まったわけではなかったけれども、行きがかりが次の行きがかりを作ってしまうというように、連鎖的に発展して、スタートラインに着いてしまったわけですが、それはよく言えば、縁があったということかなと思っています。

飽きっぽい性格の私ですが、それ以来、ずっともう14年以上、この仕事を続けていることからしても、縁があったのかなと思います。

きっかけがきっかけを呼ぶ

もし、今、何かをやるかどうか思い悩んでいたり、新しいことにチャレンジするかどうか迷っているなら、そこに思い切って入って見るのもいいと思います。多分、何かに心が動かされているというのは、今の現状に少々飽きているせいなのかもしれません。

そんな時は、一歩踏み出すと、自然とそちらに動いていくようにきっかけがきっかけを呼ぶことになりそうです。そして、意外とハマれば、そのまま自然とそちらに流れて、その流れに乗って動いて行ってしまうかもしれません。

遅きスタートを恐れない

日本語学校の先生になってから、大学院も行きました。若い人たちに混じって、同級生より近い年齢の先生方のもとで勉強するのは大丈夫かと気後れもしましたが、なんとかなりました。

本格的な論文を書くのは初めてでしたが、死にそうになりながらも仕上げました。

日本語教師養成講座の先生にもなってみましたが、勉強量と仕事量がえげつなくて、死にかけましたが、2年やって、やめて生き延びました。勉強は教師としての幅を広げることに非常に役に立ったと思っています。

本格的な仕事にしたければ、スタートは早ければ早いほどいいとは思います。けれども、まあ、遅きスタートを恐れることはないと思います。何より、今日が人生で一番若い日なんですから。





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