見出し画像

新海苔の頃

寒くなってくると、海苔づくりの最盛期になる。実家の母の好物なので、母の友人・知人が10帖単位で持ってきてくれるのが普通でした。なにせ、実家は宮城、松島湾は海苔の養殖で名高い所。

ちょっと口寂しい時に、軽く炙って食べたり、プロセスチーズを挟んで焼いたり、小さくカットして、バターで炒めて塩を振ったり。身近な食材として普通に使っていました。まさか、あんなお値段だとは思いもせず・・。

寒風に吹かれながら、海苔を伸ばして干し製品にする、大変な仕事です。考えてみれば、それなりの値段がつくのは当たり前ですね。

母の実家は畳屋だったので、祖父も職人さんもあちこちの現場に出かけ、代金の回収は家族の仕事でした。

ある時、かなり古い傾いたような家に集金にいかされた母は、「ちゃんと払ってもらえるのだろうか?」と不安になったそうです。ですが、玄関に出てきたその家の方は、「はい、お待たせしました。」と即金で全額払ってくださったのだそうです。家に戻ってその話をすると、祖父は「あそこは海苔屋だから、今現金収入あるんだよ。」と笑っていたとか。

畳屋も「新しい畳で新年を迎えたい」という人の多い年末が忙しく、海苔屋も寒風の吹く海苔作りの季節が忙しいのでしょう。宮城のお正月のお雑煮に欠かせないセリも、冷たい水の中に入って収獲するという、農家の方のご苦労の上に成り立ったもの。苦労が収入に結びついていたわけですね。だからこそ、家業として成り立っていたとも言えますね。

おにぎりにしたり、手巻き寿司にしたり、故向田邦子さんにようにお吸い物にしてもいい、身近な素材海苔。ずっと、身近な素材であるために、生産者にきちんとした利益のでるものでなくては、なりません。 安いことを追い求めては、失うものもあります。日本の伝統を繋いでいきましょう。まずは、海苔から。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?