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それでも呪いとは言えない 現に私は負担になり続けてるし、少しの興味と適性と半端で何に対するものなのかも分からない反骨精神?対抗心?だけでここにいるけど、ずっと後ろめたさと申し訳なさがある

それは家族からの期待に正面から応えられない実感があるからだと思う

父親的な役割を言葉で求められた訳でもなく、〇〇しろと言われながら生きてきたわけでもない、生来の責任感ゆえか勝手に自分を縛っているだけかもしれない

でも日頃の節々から、大学出たらすぐに就職して家に金を入れる、異性と付き合う、結婚して家を出ていくことがあらかじめ想定されているルートを走らなければいけないと思わせる要素は揃っている

それでもって私は恐らくそのルートから外れることしかできない 順応する努力すらできない それを試みた瞬間死ぬのが分かってるから

自分が犯罪者になるかもしれないことへの得体の知れない恐怖も分かる 底知れぬ攻撃性の端が見え隠れする瞬間が多々ある いつか抑えきれなくなってしまうかもしれないものを持ち続けることの精神的負荷は計り知れない

やりたいことをやっていいと言われてはいるけども、その方面は進むには辛すぎる…まあこれは単に甘えなのかもしれないが

自分に正直になるなら、博士に進みたいのかはまだ分からないけど評価してくれる人がいるなら文章は書いていたいと思う

作品と人を結ぶ文章を書きたい、という気持ちは今日はっきりと芽生えた

実際美術館いってもしっくりこないけど、文章にされることによっていきなり核心に迫れる感覚は恐らく私固有のものではないはず

今日の経験は間違いなく私のレジリエンスの一翼を担うと思う

そして、私の苦しみや呪いが現代特有のものであり昔には存在しないものであったとしても、間違いなくそれは経験の幅を広げてくれているし優しさに繋がるので、特に不満はない 何も知らず、考えずに女を演じることは萌え絵化と同じであると思う

何より、その苦しみを受け止めてくれる作品がある時代に生まれてよかったと思う

人の苦しみを引き受けられる芸術の価値に対して、見方がかなり変わった一日だった

分断がなく、誰も孤絶させない、全てを引き受け代弁してくれているように感じさせる絵画の存在が知られて良かった


少女ではなくなり、かといって母になったわけでもない私の所在はどこにあるんだろう

常に純潔でなくてはならず、絶えず処女性が求められ、その一方で異性との交流がないだけで異端視される少女から、他者の何もかもを請け負わないといけない究極に利他的な精神を保つケア要員にされる母になる他なかった女性

どちらにも当てはまれない女性は女性じゃない?前時代的な意味合いでは間違いなく女性ではないのだと思う

男性の中の母性と女性の中の父性ってなんだろうなー

セクシュアリティの文脈では語りきれない領域が広すぎる もちろんその領域が広大であることは分かっていたけども


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