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僕は親不孝になる

あれも出来ないこれも出来ない、ではなく。
あれもそれも頑張れば出来る。
まだやってないだけ。

時間が無い、やる気が出ない、全部言い訳と言われて早生まれて数十年。

お前は甘えている。そう言われて生きてきた。
天邪鬼も大概にしろと言われて生きてきた。

ぶっちゃけやってないだけで出来るは割と本当で。できないことはないんだ。出来るまでやるから。

けど、得意な訳でもなく、上手な訳でもない。とりあえず体をなせるだけ。

人は何でも人の夢を否定したがるけれど、否定された方がやってみたさが増すのが自分で。

人に宣言すると満足してしまうから達成するまで言わない方が成功しやすいのが自分で。

けどそうすると頑張って平均より上を目指して作ったそれが、出来て当たり前の平均値にされる。

だから頑張らずに出来る様になった、平均がもう既に取れるような習慣化されている人達と比べられる。

少しでも頑張らなかったら甘えていると見なされる。そういうのに疲れて、僕は頑張るのを辞めた記憶がある。

頑張った所で当たり前だと言われるのなら、やる価値がないと。ならもう出来なくてもいい、期待をされたくないと思った。

実際習慣を作るためにはやはり頑張らなければならないのだが、自分の為に頑張りたいと思うことと、人に強制されるからやらなければならないという頑張り方は全然ちがって。

子供の頃、手取り足取りで教わった記憶はあまりない。調べて、やれて、それが当たり前になる。

そして否定される。○○が出来てない。

全部減点される。何を頑張っても減点される。
その日の気分で、相手の感覚で。
減点されてもどうしたらいい等は教えられない。

けど、もう僕は大人になってしまった。
手取り足取り一緒にやってくれる先生も、そんな親も元々居ない。

ただ一緒にやって欲しかっただけなのに、褒められたかっただけなのに。自分のことを考えて欲しかっただけなのに。そんな欲求が大人になっても消えてくれない。

本当は朝起きた時に暖かいご飯とお味噌汁を作る母が居て欲しかった。宿題を一緒にやって欲しかった。授業参観に来て欲しかった。卒業式に出て欲しかった。卒業式の髪をセットして欲しかった。お弁当を作って欲しかった。夜は母のいる家で寝たかった。

よそはよそ、うちはうち

母親が喜ぶと思ってやり始めた料理。
途中から当たり前になった料理
母が作りたい時に皿が洗われてなかったらキレられる日々
携帯ばかり触って勉強をしろとしか言わない母
とりあげられたテレビ、ゲーム
調子が悪くなった理由と真剣に向き合ってくれない母
赤子の弟がタバコを口に入れたのを自分のせいにされたこと
消されたセーブデータ
家事がやりたくないから入った塾
行かない私立に出す金は勿体ないと渋られた受験料
公立に行かなければ働けと言われた高校受験
妹弟の行事に全て親代理で自分が参加したこと
給料未払いで金がないと話してもびた一文貸さなかった事
全部覚えているから。

子供が嫌いだと、死んでしまえと、貴方が言ったことは忘れないから。

周りには毎日弁当を作ってもらって、お迎えに来て貰えて、洗濯物が勝手に洗われて部屋に置かれているような生活をする子が溢れていて。

けれど、そんなことをぶつけたって今更。
ぶつけた所で今更。ろくな答えが返らないことは分かっている。
隣の芝生は青い。

身につかなかったものを、一つ一つ大人になってから1人でやるしかない。

頭の中で出来たことに対する喜びよりも、まだこんなことも出来ないのかという否定の声がよぎる。

だから、でもだからこそ、自分で生きて、自分のなりたかった生活に、1人でなる。頑張る。

お前なんかより、幸せになってやる
お前が与えなかった物を、お前には与えない。

そう言えたらいいのにね。

母が渡してきた「許すということ」の本
お前がそれを言うのかと
許すかどうかは自分が決めるので
勝手に許されようとしないで下さい。

貴方に言われたとおり、自分は勝手に生きていきますので。

猫缶代、いつでも待ってます。