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泣いて、与えてもらって、転んでも立ち上がってを繰り返してきたはずなのに。③

赤ちゃんの頃に沢山経験してきたはずなのに、大人になるとすっかりさっぱり忘れちゃっている大切なことがあるよな、というお話です。

こんばんは。にゃんちーです。
星読み屋さん時々タロット使い。noteは徒然なるままに、筆ならぬ指を走らせよう。(キーボード打ってるわけだし)
何者でもない私としてを徒然なるままに書こうと思います。

前回の続きなのですが、すっかりさっぱり日が空いてしまいました。

月1更新かよ…というペースになってしまいました。とほほ。

再び立ち上がる勇気を、どこに忘れてきたのだろう。

大人にまで成長してしまうと、昔は出来なかったことでも、すっかりさっぱり当たり前に出来るようになっていることがいくつかあると思う。

二本の足で立っていること。

歩くこと。
そして歩き続けていくこと。

しかし、誰しも、自分の足で立つことすらままならない時期があったのである。
立ち上がったはいいものの、頭が重くて、そのまま後ろにコテンと倒れたこともあるだろう。(自分の記憶にはないかもしれぬが。)

まともに立てるようになったとて、一歩踏み出しては、どかんと尻餅をついていはずだ。

歩けるようになるまで、きっとみんな、たくさん転んだはずなのだ。

しかしどうしてだろう。

大人になると、小石に躓いただけで、おっかなびっくりしてしまう。
盛大に転んでなんかみろ。立ち上がるまで、うんと時間がかかってしまう。
立ち上がったはいいものの、すっかり怖くなってしまって、来た道を戻ることもある。
立ち上がれればいいけれど、転んだまま立ち上がれないこともさえある。

よくよく考えてみれば、不思議なものだ。

小さい頃は、あんなに転んで、いっぱいかすり傷を作っても、何度も何度も立ち上がっては、どんどん、ずんずんと前に歩き出したはずだ。
あの頃は、そうして何度も立ち上がる勇気を持っていたのだ。

それがどうして、大人になると、再び立ち上がることが出来なくなってしまうのだろう。

それがどうして、大人になると、ただ前に一歩、たった一歩踏み出すことが、こんなにも怖くなってしまうのだろう。

小さい頃のように、立ち上がってすぐに転ぶこともない。
一歩踏み出して、尻餅をつくようなこともない。
何も考えずに立ち上がることができるし、歩くことだってできる。昔より遥かに沢山、そして遠くに歩き続けられるようになったはずだ。

一体、いつからだろう。

転んでも、また立ち上がる勇気を、いつの間にか忘れてしまったのだろうか。
歩き続けてきた道のどこかに、落としてきてしまったのだろうか。

転ぶことが少なくなった大人たちには、立ち上がる勇気がいらなくなっちゃったのだろうか。
それとも、転ばないような安全な道ばかりを歩いてきたせいだろうか。

幼い頃の自分は、いっぱい転んで、その度に立ち上がり、何に臆することもなく一歩、また一歩と踏み出していたんだ。
大人になって忘れてしまったのだろうけれど、立ち上がる勇気を、うんと小さい時には持っていたはずなのだ。

転ばなかった人なんか、居ない。

最初からスタスタ歩けた人なんか、居ない。

転んだら立ち上がればいい。
見ているほうがいつだって前なのだから、そっちに歩き出せばいい。

きっと、本当はそれだけのことなんだと思う。
必要なのは、ほんの小さな勇気だけ。


余談

もはやこの3つ目のnoteが書きたいがために、前の2本を書いたようなものなのだ。
どうしてこんなこと思ったのかという話を、スタエフでしました。

https://stand.fm/episodes/60a1081eae6934e736efe565

今日はこの辺で。
したらばまたにゃーん。

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