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愛猫きなこの話

うちの愛猫きなこが天国にいきました。
2024年6月17日月曜日14時頃でした。
ちょうどお仕事がお休みの月曜日の昼間だったので、
朝からずっと一緒に寄り添ってあげることができました。
とても穏やかにやすらかゴロンしたまま
最後ほんの少しだけ何かにびっくりしたように突然起きて
伸びをするようにあくびをするように息を引き取りました。
だいたい15歳でした。

悲しいとか辛いとかつらつら言う気はありません。
ただ、きなこが生きた証というか記録みたいのものを、
文章にして一筆残しておきたいと思った次第です。

といってもきなこは特別変わった猫でもなく、いたって普通の猫だったと思います。
15年の猫人生をほとんどウチの部屋の中で過ごしました。
飼い始めのころ1度だけ、犬のようにかわいいお洋服着せてリードをつけて、公園に散歩に連れて行こうとしたのですが、マンションの外に出た瞬間から1っ歩も動かずフリーズしてしまい、散歩は断念、以来一度のお出かけも散歩もしませんでした。
ああ、最後の数週間、病院通いに籠に入れてウチから病院まで、30分ぐらいの道のりを一緒に歩いて行ったのがきなこにとっては唯一の大冒険でした。籠の上の蓋になっているプラスチックの窓からキョロキョロ、キラキラした目で周りの様子を眺めていたのがちょっと楽しそうでした。(飼い主の希望的見解w)

ウチの中での生活はいたってシンプルなルーチンワーク。
寝る。起きる。ご飯を食べる。水を飲む。ウロウロして、ゴロンして、おしっこして、うんちして、寝る。起きる。ご飯を食べる、水を飲む、ウロウロする・・・。
僕が出かけようとズボンを出してくるとすかさずその上に乗っかり何食わぬ顔で伏せしてる。何とかどかしてズボン履いて出かけようとすると今度は鞄の上に乗っている。ようは行かさねぇように邪魔するわけです。
仕事から帰っても犬のようにキャンキャン飛びついて喜ぶようなことはなく、知らんぷり。
たまに何か鬼気迫る、文句ありげな不満げな声で訴えかけてくる。
「ご飯?お腹すいたの?」とご飯をあげてもちょいと匂いを嗅いでプイ(気に入らない)とどこかに行ってしまう。
「構ってほしいの?ナデナデしてほしいの?」と触ろうとすると逃げ回る。
「なんだよ!もう知らん!」と、こっちも無視してテレビでも見始めると、手を伸ばしてもギリギリ届かない場所にやってきてはお尻を向けてゴロンする。
「ナデナデしてほしいのかしてほしくないのかどっちなんだよ!」
「メンヘラ女かよ!」
などとツッコんでも
「はぁ?なんですか?」と言わんばかりのおとぼけ顔。
そんな猫でした。
そんな繰り返しの15年がきなことの生活でした。


ズボンの上に乗るきなこ



たったそれだけでしたが、そこには命の温かさがあり、確かな愛があったと思うのです。

この猫とのシンプルな生活は、人間関係においても大いに学ぶべきところがありました。
ウチの夫婦はほとんど会話もなく、一緒にお出かけすることもなく、仕事の時間帯も休みの日も違い、何十年もすれ違いの生活を送っているといっていいでしょう。
「そんなんで一緒にいる意味あるのか?」と自問自答したこともありました。
しかしそんなときいつも「意味ってなんだよ」と思うのです。
会話がなく、一緒にお出かけかなく、すれ違いの生活に意味がないのなら
きなことの生活にも意味はなかったことになってしまう。
とかく人間はなにごとにも意味を求めがちですが、
意味なんてなくていいじゃない。
ただ一緒に暮らしていること、生きていること、
それだけでいいじゃない。
これはもちろん僕の、きなこから学んだ持論です。
人間と猫を一緒にするなと妻は言うかもしれませんが・・・。

方向性おかしくなってきたのでこの辺でやめときましょう。
とにかく言いたいのは
きなこはとてもかわいい猫でした。
 
「きーちゃん。ありがと。大好きだよ。天国でちょっと待っててね」