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日米開戦への過程でのコミュニケーション・ギャップ

日米開戦の80年で、日本の開戦判断の誤り、愚行として繰り返し「反省」ばかりさせられます。別の角度から考えたほうが良いように思います。

開戦に至る経緯で、ハル・ノートが最後通牒の代名詞のように使われ、そののち、日本の真珠湾への先制攻撃に至りました。しかし、その過程で身近にもありそうなコミュニケーション・ギャップが原因にもなっていることは意外に知られていません。

開戦前の日米交渉では様々な案が取りざたされ、東京―ワシントン間で、交渉をめぐる日本の立場での報告連絡が多くありました。

もちろん日本側も暗号(「パープル」)で秘匿するも米国側は傍受し(「マジック」)で復号解読されました。この点が、陰謀論を産む温床にもなっていますが、この点は別に論じたいところです。

この日米交渉に関する日本側の報告連絡で、「最終案」「最終」などの単語がかなり乱発されていたことが注目されます。

日本語の『最後』という言葉には、商取引にもしばしば駆け引きの言葉として使われ、相手の出方次第によっては、再考する意味が含まれている場合がよくあります。逆に言うと日本で外国人がビジネスを成功させるためのポイントでもあり、助言したほうが良い点でもあるかもしれません。

実は私の身近でもよくあります。「課長!これが最終見積です!これでお願いします!」→その後値引きさせました。「この案が最終案として発注にしよう」→その後の最終案2回作る羽目に陥りました。

日本での東京からワシントン在米大使館への指示も、やはり最終案提示でさらなる米国側からの妥協を引き出せという趣旨であったようです。

しかし、「最終」が英訳され last とか final とか dead line という言葉になると、日本語のもつ慣習的な意味合いはなくなり、文字通り『最後』となってしまいます。

運の悪いことに、そのまま「マジック」によって米国側に解読・報告され、これが、白紙撤回を求めるようなハル・ノートを産む背景につながっていっためんがあります。

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 この日本語と英語のもつ、文化や伝統、あるいは慣習上の相違を、日米間のコミュニケーション・ギャップの原因と指摘したのが、京都産業大学の須藤眞志氏である。

須藤眞志『日米開戦外交の研究――日米交渉の発端からハル・ノートまで』慶應通信1986年

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 なお、アメリカ側は「マジック」によって、日本が戦争に踏み切るだろうと事前に予測し、それで日本側が交渉期限を付けたこと、ハルは戦後回想しています。

コミュニケーションギャップは一般社会でも存在し、企業間の取引でのトラブルでも見られます。しかし、現在、特に半島や大陸では「誇大表現」がしばしば用いられます。コミュニケーションギャップが無いことを祈るのみ。

他参考


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