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国際観艦式における韓国の愚行の陰に米朝の歴史(2018年10月)

 国際観艦式で、旭日旗に対する韓国側の無礼が大きく話題になったが、一方で 国際観艦式で、文大統領乗艦の軍艦に「帥字旗」が出てきたことが見逃せない。 

 「帥字旗」がなぜ問題なのか

 そもそもの発端は「シャーマン号事件」に遡る。1866年7月、米国の「ジェネラル・シャーマン号」が朝鮮との通商を求めて大同江経由で平壌の羊角島に来航。(当時、東アジア周辺の海域には武装商船が頻繁に出没。) 平壌の地方官は当初この船を難破船として処理する方針だったが、(朝鮮側の伝えるところによれば)朝鮮側使者が乗った小舟はシャーマン号側によって転覆させられ、捕縛。さらにシャーマン号は沿岸に集まっていた住民に砲撃を加えて10名あまりを殺害し河を遡行しはじめた。 

これに激怒した住民はシャーマン号への攻撃を開始し、数日間の戦闘の末にシャーマン号は座礁した。ここで平壌監司の朴珪寿がシャーマン号を焼き討ちし、乗組員全員を殺害。 

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ここで、凄い歴史ネタが韓国で教えられていない。(というか教えられない)ホントかどうかわからんが、このシャーマン号事件のもう一人の首謀者が「金膺禹」(上記画像)で金日成の曽祖父である、というのが北朝鮮側の主張だ。(この手の主張が本当だったためしがないが・・・) さて、話はこれで終わるわけがなく、米国が反撃しないはずがない。 

 これに対し 1871年4月、アメリカのアジア艦隊司令官ジョン・ロジャーズ は日本の長崎で艦隊を編成。5月にロジャーズは旗艦コロラド (USS Colorado)、アラスカ (USS Alaska)、パロス (USS Palos)、モノカシー (USS Monocacy)、ベニシア (USS Benicia) の5隻の艦隊を率いて江華島に向かった。 

 1871年6月10日、米軍は江華島を襲撃。激しい砲撃戦を経て、海兵隊上陸に成功し、草芝鎮と徳津鎮、広城鎮を制圧した。米軍は、朝鮮国軍の多数の武器・軍旗を戦利品にして、帰投。 

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戦利品として米海軍士官学校博物館所有の「帥字旗」を持ち帰るに至る。これを「辛未洋擾」という。 

 ここまでスゴイ歴史ネタの「帥字旗」を国際観艦式の場でいきなり持ち出したことを、北朝鮮、アメリカはどう見るのだろうか。

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