脱出生依存社会 - 反出生主義の社会的実践に向けて

続きを後で書くつもりですが、途中で余力がなくなったので、下書きの消失を避けるため念のために一旦公開します(2024年5月26日 午後)。
追記しました(2024年6月1日)

なお、本記事の結論は「反出生主義思想は理想だが、残念ながらその普及には膨大な時間がかかる。」「なので同時に平行してまずは脱出生依存社会(社会的な『産め圧』の除去、技術による省人化、人口に依存しない財源の実現)を目指しチャイルドフリー・選択子無し・DINKSが生きやすい社会にしよう」です(2024年6月8日に旧Twitter に投稿、同13日に本稿に追記)

1. 序文

お久しぶりです。nyangana313です。
私は、ヒトを含むあらゆる有感生物が生殖行為をやめるべきだと主張し、それら全ての絶滅を是とする反出生主義者です。
この主張をする際、私は(そして私以外の多くの反出生主義者も)、デイヴィッド・ベネター(ただし彼のジェンダー観や児童観には疑問点もありますから、彼の言うことを鵜吞みにしていいわけではありません。)の道徳理論である生殖の同意問題と快苦の非対称性問題を援用します。反出生主義にあまり明るくない読者もいるかもしれないので、一旦この2つの道徳理論についての概説を挟みます。

2. 反出生主義の道徳理論

2.1. 生殖の同意問題

まず、生殖の同意問題に関してです。この世に生まれてくる子どもたちの大半は、その遺伝子的な両親の同意に基づく性行為の結果として生じる妊娠の後に出生を強いられます。両親は性行為や妊娠や出産について対話し議論しあい一定の合意に到達することができることがあります(もちろん、不同意性交による望まない妊娠や、妊娠当事者の意に沿わない出産や中絶も残念ながら未だに存在します。)。一方で、子どもは、人類という種族について、生まれ育つ地域や国や時代の社会について、両親や家庭環境について、自身について、何もかもを知らないままに生まれてくることを強制されます。子供は、親や親の周囲の世間や国家の権力によって、その生涯に関する最も重大な問題を一方的に決定されます。これが「出産の不同意性」と呼ばれる問題です。

2.2. 快苦の非対称性

ベネターや私たちが「快苦の非対称性」を語るときには、功利主義哲学の一種である「負の功利主義」の立場で考えます。一般的な功利主義では、少しでも多くの人が最大の幸福を得られる(「最大多数の最大幸福」)を追求するのに対し、「負の功利主義」ではまず不幸を最小化することを目指します。ですが、いずれの功利主義であっても、快楽の存在を善いこととみなし、不快/苦痛の存在を悪いこととみなすという点では共通しています。

さて、「快苦の非対称性」の話に戻ります。ここでは、任意の子どもAが出生を強制されて存在している場合と、出生を強制されず最初から存在しない場合を比較して考えます。

  • Aが存在するとき、Aには苦痛が存在します。これは悪いことです。

  • Aが存在しないとき、Aには苦痛は存在しません。これは善いことです。

  • Aが存在するとき、Aには快楽が存在します。これは善いことです。

  • Aが存在しないとき、Aには快楽は存在しません。負の功利主義では、これを悪くないことと捉えます。

これらのことを、以下のマトリックスで表すことができます。

存在と非存在との快苦の非対称性を表したマトリックス

存在と非存在との間では、快楽と苦痛との間には明らかな非対称性があります。苦痛の不在が善いのに対し、快の不在は悪くないのですから。これによると、

  • 子Aが存在することは、悪くもあるが善くもある、と言えます。一方、

  • 子Aが存在しないことは、悪くないだけでなく、善いと言えます。

すなわち、子どもが存在しないことは、子どもが存在することと比較し、その子ども本人にとって優れていると言えます。

2.2.1. 生存と死と非存在
少し脱線になりますが、ナタリストがよく行う「なぜ反出生主義者は自殺しないのか」という主張についても、マトリックスを用いて反論できます。もっとも、ナタリストのこの主張は、他人に死を強いる加害である言語道断のデスハラスメント(デスハラ)です。また場合によっては刑法第202条の自殺関与罪のうち特に自殺教唆罪(未遂を含む)に該当しうること、さらに強要を伴えば殺人罪(未遂を含む)に該当しうることにも留意が必要です。侮辱罪も厳罰化されていますね。
さて、任意の人物Bが任意の時点で死亡した場合、生存している場合、出生を強制されなかった非存在の場合で比較します。


生存と死と非存在の比較

生存している場合、非存在の場合は先ほどと同様です。

  • Bが死亡した場合、Bは苦痛を剥奪されるぶんだけは善い

  • Bが死亡した場合、Bは快を剥奪されるため悪い

  • Bの死亡の過程それ自体により、Bは多大な苦痛を受ける

したがって、苦痛の総量は

  • 非存在<生存<死亡

となり、功利的に考える限り、3者の中で最も善いのは非存在ということになります。そのため、反出生主義者は、合理的に思考する限りでは自殺しない、ということになります。また、生命を有するものは遅かれ早かれ何らかの要因で死亡するため、生殖行為は子の将来の多大な苦痛を伴う死亡の一因である、とも言えます。なお、本稿では安楽死については検討しません。

3. 身勝手な人間と最終世代運動と脱出生依存社会

3.1. 身勝手な人間と最終世代運動の限界

以上の道徳理論から、生殖行為は子に関する重大な事項を一方的に決定する権力的な行為であり、優れた非存在を多くの苦痛を受ける生物に変換する行為であり、その生物は死亡する過程でも多くの苦痛を受ける、ということを確認できると思います。ここから、親やその周囲の世間の人々や国家は、本当には子の利害を考えず非常に身勝手な動機で行動していると言えると思います。さて、反出生主義の普及と人類の滅亡のためには、すべての人を説得し、生殖行為をやめさせる必要があります。しかし説得すべき相手は身勝手な動機で行動する人間であり、こうした道徳理論に頼った最終世代運動的な説得は難しいでしょう。その社会で既にメジャーな道徳理論を用いて説得するならまだしも、反出生主義の道徳理論はまだまだマイナーです。残念ながら、私たちが人類最後の世代となり、その苦痛を甘受しようという最終世代運動の価値観を、同世代の多くの人に受容してもらうことは難しそうです。

3.2. 脱出生依存社会を実現するために

現在、私たちの社会の社会機能を維持するためには、人間の労働力や人口に依拠した税収に依存しています。現在の社会は、人口に依存しており、新たな人間を生み出す生殖行為に依存したいわば「出生依存社会」です。
私が考えたのが「脱出生依存社会化」です。生殖行為を行わないことにより個人が被る不利益を低減・解消することで、徐々に機能を維持しながら社会を縮小し、来る最終世代の不利益や苦痛を彼ら自身が受容可能な範囲に抑えることが目標です。
(以下2024年6月1日追記)

3.2.1. 「産め圧」や出生賛美を無くせ
特に出生時に割り当てられた性別が女性である人に対し出産を求める社会的圧力を、「産め圧」と呼びます。「産め圧」の原因は、それを受ける当事者の親であり、また「少子化・高齢化・人口減少」それ自体があたかも危機であるかのように煽ったり老齢期の福祉や孤独をダシに驚愕したりするメディア(政府広報や教育、SNS、近所の人や同僚との会話などを含む)が原因です。特に高齢出産への偏見から、若者に対し「早く産め圧」をかけるクズもいます。
なお、出生時に割り当てられた性別が女性である人に対する「産め圧」よりは遥かに弱い圧力であるものの、出生時に割り当てられた性別が男性である人に対しても結婚・生殖を条件に「一人前」として承認するいわば「産ませろ圧」が存在することも問題です。内面化された「産ませろ圧」と女性との交際や婚活に失敗する自身のありかたとの矛盾が生み出したモンスターこそが、インセル系アンフェといえるでしょう。

これらの圧力の一因といえるのが、親やメディアです。これらは、社会的/個人的危機を煽ったり承認をちらつかせて恫喝・揶揄したりするばかりではなく、異性との恋愛・交際・結婚・生殖・出生(の強制)・育児を美化することも多いです。
世の中の恋愛をモチーフにした創作の大半が異性愛とその成功を賛美するものです。現実世界の多くの人が「誕生日祝い」に慣らされ、「結婚祝い」や「出産/出生祝い」を支払わされます。テレビや新聞は「今週・今月に産まれた子」の名前や親のコメントなどの情報を垂れ流しています。これらを洗脳と言わず何と言うか。創作はまだしも、(実質的に強要される)金銭の支払いの形式やプライバシーを含む報道の在り方に対しては、法規制を実施するべきでしょう。
絶対に生殖したくない人や、さほど生殖に前向きでない人が生殖をしなくて済むメディア・文化的環境を作るべきです。

3.2.2. テクノロジーと制度による省人化・無人化と税制改革と人民皆福祉の実現

国や自治体の政府が「少子化」を危機扱いするのは、その国や地域の社会機能を維持するために労働力や税収(ここでは社会保険料を含みます。)が必要だからです。そのため、政府は労働者や納税者を欲します。何らかの目的を果たす道具として新たに人間を生み出す(生み出させる)ことは道徳的に間違っています。しかし現状では、これまでに生み出された人間の福祉のために新たな人間を生み出す悪循環が続いています。商品の売り上げに依存する消費税の税収は人口に依存していますし、政府は住民税や社会保険料を含む逆進性の高い税金を支払わせたいのでしょう。

しかし、労働者の労働力の大半は、いずれ汎用型AIやそれを搭載したロボットにより取って代わられる可能性が高いです。また、金銭的な負担能力を考えれば、貧しい個人や中小企業よりも、豊かな個人や大企業にこそより多くの税の支払いを求めるべきでしょう。具体的には、税の累進率を引き上げることや「節税」対策の強化、大企業への公金還付の抑制・廃止が必要です。
将来、AI/AI搭載ロボットの稼ぎで潤った企業が支払った税金により、公的セクターのAI/AI搭載ロボットが動き、私たちは公的セクターのAI/AI搭載ロボットから給付や介護を受けられるようになっていてほしい。そのような社会では、私たちは生殖をしなくともよく、ただAIの暴走に対する警戒のみをしていればよいのです。
ただし、これらのAI・ロボットを稼働するための膨大なエネルギーを、環境負荷の小さな形で安定して供給する方法を確立する必要があることに留意が必要です。

3.2.3. 反出生的ヴィーガニズムの社会的実践

反出生主義は、出生の強制であるあらゆる有感生物の生殖を批判すると同時に、あらゆる有感生物への生殖の強制・強要を批判します。すなわち、犬にも猫にもハムスターにもモルモットにも金魚にもグッピーにもウナギにもにもカブトムシにも牛にも豚にも馬にも羊にも鶏にも、私たちヒトは生殖を強制・強要してはいけません。ヒト同士の生殖の強制・強要を廃絶できても、他種への生殖の強制・強要を続けるなら、それは種差別です。彼らにも私たち同様、絶滅する権利があります。したがって、畜産・酪農・養殖業やペット産業、動物園や水族館は将来的には全廃されるべきです。現状、私たちができることはアニマルライツの拡充のための各業界などへの規制強化と不買運動のみですが、将来的には全廃に踏み切るべきでしょう。尤も、これらを全廃する法案を可決できる頃には、需要の大幅減少によって既にこれらの産業を行う事業者がほぼ全て廃業しているかもしれませんが。

ヴィーガニズムの拡大によって野菜や穀類、豆類の需要が急騰することから、これら植物性食品をより環境負荷の小さい方法で安価かつ大量に供給する必要が生じます。
現状、特に窒素肥料に含まれるアンモニアの製造過程では、高純度な水素の製造のために大量の化石燃料を消費しています。また、窒素肥料の使用により現在の土壌は窒素過多となっています。

3.2.4. 人類の後始末(廃棄物・汚染物質問題)

なお、「人新世」とすら呼ばれる時代になるほどに、私たちはコンクリートやプラスチック、有機フッ素化合物などの分解されにくい人工合成化合物を作り出し、従来より多量の放射性物質、化石燃料の燃焼に伴う炭素微粒子、雨水に溶ける硫黄酸化物(SOx)や窒素酸化物(NOx)、生活排水や産業排水に含まれる窒素化合物やリン酸塩を環境中に放出し、地球環境に悪影響を及ぼしてきました。これらの物質の処理・処分を確立する前に絶滅することは無責任とすら言えるでしょう。最終的にはAI/AI搭載ロボットに管理を任せるにせよ、人の手で処理の目途をつけるべきです。

4. 反出生主義のための脱出生依存社会

本稿で私は、反出生主義の普及と生殖拒否による人類の絶滅を実現するためには、生殖をおこなう身勝手な人間を説得する必要があり、この説得のためには脱出生依存社会の実現が必要だと論じました。脱出生依存社会は生殖を行わないことによる個人的/社会的被害が発生しない社会であり、身勝手な人間にとっても受容可能なものであるはずだと考えます。同時に、脱出生依存社会の実現を目指すうえでの具体的な手法を示しつつ、解決するべき環境問題を提示しました。


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