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新しい形の家族主義が生じる懸念 - 親ガチャの結果を固定化・増幅するな

私は反出生主義を合理的な主張だと考える反出生主義者の一人ですが、一方で反出生的な思想を持つ人々の界隈に対しては、度々苦言を呈しています。この記事も、そんな苦言の一つです。

反出生的な思想を持つ人々の界隈(長いので、以下「反出生界隈」と呼びます)の一部でトレンドとなっている主張の一つが、自己責任論です(もちろん、自己責任論に否定的な人もいます)。その論旨は、生殖を行ったのは親のエゴなのだから、育児に関して周囲に支援を求めず不満を言わずに自己の責任で行え、というものです。
これは一見正しいようにも思えますが、重大な瑕疵があります。それは、特に親が追いつめられた場合、ほぼ絶対と言っていいほど子に皺寄せが生じるという点を無視していることです。反出生主義の用語を用いて言い換えると、親が追いつめられている状況であると、既に出生被害を受けている子の生育環境が悪化してしまう、ということです。
一番分かりやすいのが経済状況でしょう。自己責任論が内面化された社会において、親が困窮してしまうと子の生育環境も貧しいものとなります。

自己責任論は共助・公助を否定し、社会をより家族主義的なものにしてしまう危険な思想と言えます。共助・公助が縮小されると、必ず家庭内で弱い立場の人に皺寄せが生じるのです。「親ガチャ」で「はずれ」を引いてしまった子は、「家庭内で弱い立場の人」の最たる例です。もちろん、児童虐待だけでなく、モラハラ・DVや高齢者・障がい者への虐待も増加する可能性がある、という観点も重要です。

私は、子どもの生まれてこない権利も、生まれてきてしまった子どもの権利も、どちらも尊重されるべきだと考えています。そしてこれは、苦痛の最小化を目指す負の功利主義の思想から導かれる思考だと私は思っています。自己責任論は、生まれてきてしまった子どもから基本的人権を奪ってしまう主張です。
この記事を読んだ人が自己責任論を否定すること切に願います。

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