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妊娠するとか出産するとか親になるとか

 我が家はいわゆるDINKSで、今の暮らしにとても満足している。ただし、初産が高齢出産にならないタイムリミットには迫るところあと数年、不妊治療をするなら早いに越したことはない、ということもあり、どこかでちゃんと考えなくちゃいけない…ような気がする……
と思ったまま2年くらいを過ごしてしまった。

 というのも、私は昔から生理痛が重い、というところから問題の所在がある。
 生理のたびに1~2日目は腹痛と腰痛と頭痛と肩凝りと眩暈がひどく、PCも携帯も蛍光灯もまぶしく、生理痛が落ち着いたと思ったらPMSの嵐が吹き荒れるようになってしまって、排卵すれば貧血で布団からしばらく起き上がれないこともしばしば、もうのっぴきならない事態になったのでピルと漢方を飲み始めた。
 そしたらまあ、まあ、まあ、なんということでしょう、この素晴らしい世界。失う血が減り、精神が安定し、ドカ食いもなくなり、死にたくなくなった(わが国でも一刻も早くピルが普及して、薬局で買えてほしいと思う)。
……すなわち、まず、私にとって妊娠出産するということは、このピルを止め、あの地獄に戻ることだった。
 この時点で、はっきりいってご免蒙りたい。

 話に聞くところの悪阻の恐怖。身近な人だと妊娠初期に週3日は吐き気で徹夜をしていたが、これも妊娠してみないとわからないというガチャ。
 10か月間、処方される薬と摂取できる食料がガッツリ制限される不安。
 どれほどの時間かかるかわからないという陣痛。無痛分娩を選択すれば緩和されるのだろうけれども、あの、出てくるところは一緒であろう。そして交通事故に匹敵すると言われるほどの産褥期。どれほど寝てくれるかわからない乳児、数時間おきのミルクとおむつ、続くイヤイヤ期。
 これだけでも、私の体力と精神力ではとても太刀打ちできるものではないと思われた。

 それから、私は自分の仕事をとても愛していて、つらい嫌だもう知らないと言いながらも、この仕事に関わっていたい。この仕事に就くと決めてから実際になるまでに10代のほぼすべてと20代前半があって、自分の人格形成の大部分を占めている。仕事というよりも、生き方に近い。
 そのキャリアが、妊娠出産含めて半年から1年ほど断絶したり、数年にわたって順位を下げることは、それだけでなんだか不安になってしまう。

 仮に、完全に産む機械になれたら(育てるための大変なことを全部誰かが代わってくれるなら)妊娠出産を経て親になりたいかと考えてもみたが、それでも産みたいと思えなかった。
 未だ存在しない子とどんなふうに人間関係を作っていけばいいのか全くわからないし、想像ができないのだ。性格や趣味が合うかもわからず、上手くやっていけるか全くわからないのは当然なのだが、わからないのに、勝手に(意に添わない性交渉でもなければ、一般的には親側の希望によってしか産まれない以上、子側からすれば「勝手に」だろうから)人間関係を結ばせることに、躊躇してしまう。
 それから、「生まれたくなかった」と言われたときに、返す言葉がないと思った。生まれてしまった私は生まれなかった自分を想像できないし、今でこそこの世界で生きることに納得して、少しでも生きやすいような息継ぎの方法をたくさん覚え、何とか死なずに、死にたいと思うことを少なくしながら生きてこられた。
 感謝なことに、私にとっての配偶者は、苦しいことも楽しいことも分かち合えるし、作業の分担もできるパートナーだったので、結婚してからまた一段と生きることが楽になったけれど、自分以外がそうなれるかはわからない。

 自分自身が存在を望んだことでこの世に召喚されてしまった人間を幸せにしてあげられるほどの財力や権力や人間力みたいなものがあるわけではないと思っているし、死ななくてもやっていけるようになるかは、結局開けてみないとわからない。
 そう思うと、後から、私は、私自身が存在を望んだことの結果を受け入れる覚悟がどうしてもひねり出せなかった。責任が取れないなんて烏滸がましいことを言うつもりはなくて(所詮は私も同じ人間だから)、ただ、怖いというのに近い。
 既に産み落とされてしまった命と、少しでも不幸を小さくするために共闘する方がよほど性に合っていそうだから、どうしても親になるなら、里親や特別養子縁組のほうが合っているのかもしれないと思う。
 でも、日本だと、里親や特別養子縁組をするために不妊治療の実績が必要だったりするので、この国は、本当に「血」というものが良くも悪くもものすごい価値や影響力を持っているのだと改めて感じることとなった。

 有り体に言ってしまうと、これ以上、近い人間関係を作ると苦しくなって、自分自身がパンクしてしまいそうだと思った。24時間一緒にいる期間があるとか、同じ家に住むとか、アテンションを頻繁に求められるとか、相手の好悪にしょっちゅう左右されるとか、そういう近い人間関係。
 どうやら私には共感性羞恥があるようで、さらに他人の不機嫌に恐怖や強いを覚えてしまうので、近い人間関係がたくさんあったり長く続くと、とても苦しい。

 きっと赤子の笑顔は絶大で、完全な信頼を寄せられたり、手放しで愛する存在はきっと尊いのだろう。
 でも、「産みたいと思わなかったから産まない」というしかないなと思い、そういうのがもっと普通になると、こんなに悩まなくてもよかったのかもしれないなと思う。

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