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13年ぶりにロウきゅーぶ!を観た。そして後悔した。

今日この頃、私はプラモデルに熱を上げている。
子供の頃はよく作っていたけれど、大学に入学する頃くらいで止めてしまった。
キッカケは今年の頭に公開された「機動戦士ガンダムSEED FREEDOM」だったのだが……プラモデルの話をすると本記事の内容から逸脱してしまうので手短に纏めると「最近はプラモデルにハマっている」という事である。

プラモデルはキットのボリュームや工程数によって制作時間は変動するものの、大体は組むだけでも結構な時間を要する。拘りによってはランナーからパーツを切り取って組み立てるだけでは無く、ランナー跡をヤスったり塗装をしたりと意外と時間がかかる趣味なのだ。

私は基本的に何か音楽やテレビの音が無いと活動できない性質の人間の為、膨大な時間を要するプラモデル制作の際にはアニメを流すようにしている。

私の信条として、作業をしている合間に作品を再生する場合は「見る」のではなく、単にそれは映像を「流している」だけだと思っている。

TVアニメの場合は30分の間、画面から目を離さずに話の構成や演出を見届けてからEDクレジットまで再生して初めて「観る」と言っていい。

ただ、先に言ったように作業をしている時に再生するのは「流しているだけ」であり、BGMに近い扱いと言っていいだろう。

だから私はプラモデルを制作する時には一度観た作品を「流す」ようにしている。
話の展開や演出は頭と網膜に焼き付いているし、キャラクターも声だけで判別が付く。
それに画面を観ずとも、作品の空気感を追体験する事が出来るので、私は案外このスタイルを気に入っていた。

その折に何がキッカケだったかは忘れたが、ある作品を流す事にした。

それが表題にある「ロウきゅーぶ!」だった。

別に今更ここで解説するまでもないが、「ロウきゅーぶ!」は電撃文庫から刊行されたライトノベルであり、女子小学生がバスケットボールを通じて成長していく健全な作品だ。

本作は2011年にアニメ化され、2013年に二期が放送された人気作だ。
しかしながら、私にとって「ロウきゅーぶ!」とは2011年夏に放送されていたアニメの1作という印象であり、別に強い愛着も無いしファンでもない。

だから、本当に全話通して触れるのは13年ぶりの事だった。

エアコンがくたびれた冷風を室内に吐き出し、どこかで蝉の鳴き声が始めた初夏の頃だった。
ニッパーでランナーを切り取る作業の折に聴こえてきたOPテーマの

「SHOOT!」

――私は思わず手を休めて、目の前の画面を見上げた。
バスケットボールが体育館の天井から落下し、それが白抜きのロゴになり「ロウきゅーぶ!」のタイトルが全面に出され、そしてメインキャラクターが揃って顔を見せるその姿。

そうだ、そうだった。「ロウきゅーぶ!」は13年前の夏に放送されたアニメなのだ。

強烈な郷愁の念がこみ上げた。
あの頃から見ていなかった彼女たちの姿。そして奇しくも放送当時と同じ「夏」……!

もう色々な感情がこみ上げてきて私はOPテーマが終わるまで画面から目を離せなかった。
その「色々な感情」の主成分には懐かしさが際立っていた。
私からすると、このアニメは学生時代の夏休みに観ていた印象が残っているので、OPテーマを観るだけで無意識に当時の頃を思い出してしまうのだ。

遠い昔に読んだ小説を捲るように、私は彼女達……慧心学園女子バスケ部に「再会」した。
2024年、同じ夏の季節に――。

さっきも言ったように、プラモデルは時間がかかる。

「ロウきゅーぶ!」は全12話の1クールアニメだ。
時間にすると6時間近くだろうか。

プラモデルを作り上げるまでに要する時間は先述した通り、工程やキットによって変動するが中々に時間がかかる。
バリを残したまま組んだとしても(これもキットによるけど)1日がかりになるケースもある。
私はゲート跡を処理するのは当然の事として、塗装もするのでそれなりに時間を欲する。

故に私が1つのプラモデルを組み上げるまでに「ロウきゅーぶ!」を3週する程の時間を要した。

昴が智花達と出会い、男バスとの試合や合宿を経て、そして他校との試合を行うまでに成長する過程は3週もしていれば「観ず」とも「流している」だけで深い感動を得るようになるのは自然の事だった。

正直、13年前にリアルタイムで観ていた頃よりもハマっている実感を覚えていた。
当時は同時期に放送していた「輪るピングドラム」にかなり熱を上げていたし、なんなら「ゆるゆり」の方が好きだったかもしれない。
更に言うならば、あの当時でも最終回まで見届ける事が出来たのか不思議なくらい、私にとっては魅力的には映らない作品だった。

「この気持ちが、この気持ちだけが。私の全部です」

内容なんて8割方忘れていた。当然だ。別に大して好きじゃない作品だから。
ただ強烈な懐かしさに突き動かされて流していただけだ。
13年前の時代の空気や、当時考えていた事。それら全てを自然と追想できる事に妙な心地よさを感じていたのかもしれない。

私はアニメや映画、小説、音楽に関しては、いつ何時に触れていたか覚えている。
この作品は大学2年の秋。これは高校1年の春……と言った感じで、人にこれは?と訊かれても即答できるだろう。

作品に当時の感性や時代の空気感を結び付けている訳である。私からすると創作物というのは娯楽の中でも頭一つ抜けている存在であり、とても大事にアルバムに写真を残すように、胸中に仕舞いこんでいる。

「ロウきゅーぶ!」もやっぱりその一つだった。
久しぶりに押入れを整理していたら古いアルバムが出てきたので開いてみると、そこには慧心学園女バスの面々が映っている写真があって「懐かしい」と感じ、その「懐かしさ」に心地よさを感じていたのだ。

トラベリング

ボールを持ってからドリブルせずに3歩以上歩く行為はバスケットでは反則に当たり、それをトラベリングと言う。

プラモデルを組み上げた時、私は無意識のうちにトラベリングをしていた事に気が付いた。
別に古いアルバムを見て、過去の事を思い返すことは何も悪い事では無い。時には必要な事だろう。

しかし、そのアルバムに今現在の写真を追加する事はご法度だ。

私のイメージだが、アルバムというのは追憶装置であり過去を懐古する為の物だと思っている。
故に、そこには過去の記憶しか存在してはならず、過度に現在の物を混在してはいけないのだ。

私は「ロウきゅーぶ!」に対してこの反則行為を行ってしまった。

冒頭で記述したように、「ロウきゅーぶ!」は長らく2011年の夏に放送していたアニメという印象を持っており、定期的に振り返りなどをしなかった作品だった為、放送当時の空気感を閉じ込めたまま存在していた。

しかしながら、プラモデルを組み上げるまでに実に3週分もしてしまった事で、意図せずして長らく作品とともに閉じ込めていた空気感を上書きしてしまったのだ。

この記事を書いている時にOPテーマやEDテーマを見ても2011年当時の懐かしさを感じない。
あるのは2024年夏にプラモデルを組んでいた時の事であり、この先10年……いや、老いてもそのイメージは残るだろう。

何を言っているんだと思われるかもしれないが、これは記憶の汚染だ。

そんな後悔を感じたので、noteに残しておこうと思った訳である。

余談

私は永塚紗季が好きでした。
外見がまず好きなんですけど、仲間の様子を見て助言を出す姿や少々おませな所があって当時は友達に彼女の魅力をよく話していました。

改めて(?)2024年になって「ロウきゅーぶ!」に触れてみても変わらず、やっぱりこの娘が好きなんだと思えたことは不幸中の幸いだったのかもしれません。


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