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大学終わりの街ブラを楽しもうという話

個人的な経験で言うと、大学生は3年生にもなると土日の他に平日で丸1日フリーな日や、午前中で講義が終わる日を作れるようになる。

無論これは単位を卒なく取った学生のみに与えられる特権(?)であり、3年になっても不真面目を働いた学生は朝から夕までみっちり講義なんて事もあるだろう。

私は前者の方に類していた為、講義が昼前に終わる日があった。
その日の午後は決まって大学を出るなり市街地に繰り出していた。

大学生なんて生き物は基本的に金が無い。あるのは時間だけで、それを埋めてくれる金は懐に無いのだ。

その例に漏れず私の懐はいつも冷たく、何度その肌を触っても温もりは伝わってはこなかった。
別にそのまま家に帰ったり、それこそアルバイトに精を出してもいいのに私はいつもその日は街に繰り出していた。

でもね、この時間が好きだった。

懐や腹の具合と相談して行先を決めたりしてさ。
ちょうどいい時間帯になっているから、まずはラーメン屋に行く。ラーメン屋なんて星の数ほどあるから隔週ごとに店を変えたりする訳。
あぁ、ここは美味いなとか、ここは不味かったなとか「ひとりラーメン発見伝」を楽しむ。
別にこの行程は気分によってスキップしてもいいし、得体のしれない中華料理屋に行ってもいい。いや、マックでもいい。とりあえず大学生は腹が膨れれば味なんて二の次なんだから。

その後は最終目的地を家に設定して、とりあえずあてもなく歩き回るのがルーティンだった。好きな音楽を聴きながらね。

中古ショップに寄って、何か掘り出し物が無いか探してみたり、歩き回って疲れたら喫茶店に入ってコーヒーを飲んだり、面白そうだなと思った店にはいったり、時には更に知らない街へ「遠征」してみたり……。
そんな生活を1年通じてやっていたので、季節ごとに装いを変える街の姿がとても楽しかった。
普段は素通りする通りも、夏の照り返しで何故か目に入ったり、冬の冷たさに耐えかねて暖かさを求めて知らない喫茶店に入ったり。

社会人になったら、あの頃の気持ちが既に死んでいた。
社会人は常に日々の業務に追われ、休日も不意に訪れる瞬間に残っているタスクやこれからの仕事を思い出してしまう。

「24時間戦えますか?」なんていうキャッチコピーが一昔前に流行ったが、それは案外真理で、社会人と言う生き物は実は安寧を享受できる時間は限られているのかもしれない。

社会人になってあくる日、大学生の時にやっていたルーティンであの時と同じ街を歩いてみたが、どうもしっくりこない。

あの頃と変わらず昼にラーメンを食べ、時には音楽を聴きながら遊歩道を歩いたり馴染みの店にも寄ったが、何か違う。

加齢による体力の衰えだろうか?いや、違う。
社会人になったことで手持ちのお金が増えたから?いや、違う。

その正体を知るために、いくつかその原因を考えてみる。疲れたら公園のベンチに腰掛けて空を眺めたり、喫茶店でコーヒーを飲んだり。
……そして気付いた。
大学を卒業して、社会人になった私には幾重もの不安と責任が纏わりついているから、それがあの頃の気持ちと私とを乖離させているのだと。

大学生の頃は将来に不安を感じてはいたが、おおよそ社会人のそれとは異なるあまりに幼い不安だった。その不安は缶コーヒーですぐに胸中へ流し込める程の物で、そうしてしまえば何もない、ただ心の赴くままに動く生き物に成りえていたから街をフラつくのが楽しかったのだ。

大学生は大人が構成する社会に身を投じる機会が無く、かと言って子供のような幼い社会に身を置いている訳でもない、実に中途半端な生き物だ。

しかしそれ故に、その中途半端な環境下で培われる感性はおおよそ、あの4年間と言う限られた時間でしか発現できず、その期間を超えてしまうと再びそれを身に宿すことが難しくなってしまうのだ。

そんな事を、遠くに沈む夕陽を眺めながら思った。

これは声を大にして叫びたいが、大学生という生き物でいる間はその時々の感性のまま、街をフラついてほしい!


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