誰かの「悩み」を聴くとき

こんばんは🎈

もうすぐ、2023年が終わりますね。
皆様にとっては、どんな1年でしたか?

ほぼ2年前に、下書きで書いていたものを発掘しました。手を加えずに投稿してみようと思います。



2022年が始まって一週間、みなさんお疲れ様です😊


さて、ついつい弱気になって愚痴をこぼしたくなる金曜日の夜ですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか?


私はといいますと、やっぱり傷心中です…。^^; 
そんな今の私ですが、今日は、誰かの「悩み」を聴くときについて私の考えを思うままに書いてみようと思います。


私はよく重い話をしたり、打ち明けられたりしがちな気がします。

とはいっても、みんなが普段どんな話をしているかなんて知りようがありませんから私の推測にすぎないのですが。

それは、まだ10歳になる前くらいから。


圧倒的に多かった打ち明け話は、両親の離婚。

学校での疎外感、将来のビジョン、持病、家族との死別、暴力や虐待、LGBTs、日常的に嫌なこと、普段気にしていること、秘密の趣味や恋心、…


さてさて、私は最近になってようやくあることに気づきました。

それは、誰かの悩みを目にしたり、聞いたりすることで、自分が暗い気持ちになってしまうから、人の悩みには触れたくないという考えがあるということです。


私は、悩みを聴くのに、ほんの少しでも嫌な感情を持ったことがないと思います。悩みを話しているときは、きっと辛い気持ちが少なからずあるでしょう。ですから、私は今、目の前にいる、その人のために、ほんの少しでも力なりたい一心だったのです。


誰かに悩みを聴いてもらうのは、貴重な時間を奪ってしまうことに対して少し悪いなと感じつつも、自分が悩みを聴いていて嫌だという感覚がなかったがために、自分自身も多くの悩みを話してきたように思います。


いえ、むしろ、悩みを聴くときに嫌な感情を持たないどころか、頼られていることに対して嬉しさを感じていました。

私は、誰かの悩みを聴き、「ありがとう」と言われることで自己肯定を保ってきたのでしょうか?

たしかに、暫く誰からも何の相談もないと、私は何故かひどく落ち込んでしまうのです。本来は友達がいるのに、まるで自分が孤独なように感じてしまうのです。

人助けすら自分のエゴなのかもしれないと思うと、自分の愚かさにとても嫌になります。


でも、たとえ私のエゴだとしても、相談者にとっては悩みを聞いてほしいという願望があり、私はそれを叶えているのだから、気にする必要はないのかもしれません。


これからも、誰かに寄り添える人になりたい、人知れず悩んでる人の力になりたい、そう、私は、強く願います。

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