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後ろ暗さ

『後ろ暗さ』

後ろ暗い、という言葉には、
人には大っぴらに言えない何かがあって、
良心が苛まれている、
という意味があります。

過去の出来事が尾を引いて、
周囲の評価や見られ方が気になり、
人前に出ることを躊躇するなら、
その時、心にあるものは、
何らかの「後ろ暗さ」であると言えます。

信頼している間柄との関わりの中でも、
何らかの後ろ暗さを感じていると、
その中にいることが辛くなり、
関わりをやめてしまう、という事も、
少なからず、あるのかもしれません。

そのようにして、後ろ暗くなると、
誰かとの関係を続けにくくなり、
引きこもるようになります。

せっかく命が与えられているのだから、
出来れば明るく前向きに生きていきたい、
と誰しも思うものです。

しかし、その思いを阻害する出来事が、
心の中で後ろ暗さを感じさせるという、
ただそれだけの事で、
明るく前向きに生きられなくなる、
という事が、この世の中には多いのです。

世の中は複雑さを極めていて、
意図しないところで、
非難や責め苦を受けることがあるのです。

ただ自分が無知だったというだけで、
誰かに告発される火種が、
いつの間にか作られてしまうのです。

そんな、簡単に後ろ暗さに苛まれてしまう、
辛い思いを感じやすい世の中で、
少しでも前向きに過ごせるために、
必要なのは、やはり、
神様がいつも共にいてくださっている、
という確信なのではないかと思います。

創世記の中にヨセフという登場人物がいて、
敵意を向けられたり、裏切られたり、
心がボロボロになりそうな体験を、
繰り返します。

ヨセフは最終的に、
離れ離れになっていた家族と再会し、
敵意を向けられていたお兄さんたちと、
和解を果たしますが、
聖書の中に何度も書かれているのは、
ヨセフには「主がともに」おられた、
という事です。

イエス様が私達の罪のために犠牲を払い、
その後復活したという事を信じるのなら、
私たちのためにも、
主が共にいてくださっています。

そして、主が共にいてくださるなら、
自分の負い目に伴う誰かの非難を恐れて、
何を後ろ暗く思う必要もないのです。

いつも読んでくださり、
ありがとうございます。

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