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本線と伏線

『本線と伏線』

日本人は平均して、
大体80歳くらいまで生きるようです。

この80年の過ごし方として、
標準的に考えられるのは、
最初の20年くらいは学校に行き、
なるべく若いうちに結婚し、子を持ち、
働いて、定年して、
老後は子供に介護してもらう、
というものかもしれません。

多様性ということが言われる昨今なので、
この人生の流れを標準と呼ぶのは、
時代錯誤と思われるかもしれません。

しかし、いろいろ意見はあるでしょうが、
人生の標準というものが仮にあるなら、
その流れに乗れることを、
多くの人は欲しているのだと思います。

本線と伏線があるとしたら、
本線に乗りたいと思うのが通常なのです。

本線に乗っているとは、つまり、
世の中で認められている感じがするとか、
素敵だね、と思えるような生き方が、
安定した形でできているということです。

そして、本線があれば伏線もあります。

何か後ろ暗い体験をしてしまったとか、
人には言えないものを引きずるのなら、
それは伏線を辿る生き方、
という言い方ができるのかもしれません。

用法を少し間違っているかもしれませんが、
本線と伏線、という言葉を使ってみました。

神様の目から見て、どちらが良くて、
望ましいのか、という事を考えるのなら、
どちらにも祝福があり、
むしろ神様は、伏線に目を注がれています。

聖書によれば、イエス様は、
人の目につかないように、昼間に水を汲む、
サマリア人の女性に声をかけました。

5人の男性と関係を持ち、離別し、
寡婦となっていたため、その女性は、
人目にさらされたくなかったのです。

また、イエス様の姿を、群衆をかき分け、
木に登ってでも観たいという、
取税人の男性に心を向けられました。

取税人とは、税のピンハネで私腹を肥やす、
社会の中の、嫌われ者でした。

その様な人たちは、人目を気にして、
外に出しにくいものを心の中に抱えて、
ひっそりと生きていたのです。

イエス様はそんな、
伏線的な生き方を歩む人の味方です。

自業自得とか、そんな、冷たい言葉で、
伏線を切り捨てたりしないのです。

いつも読んでくださり、
ありがとうございます。

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