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一口エッセイ:押井守版桃太郎

 ラノベ作家・蝉川夏哉先生による「誰もやったことないことやるのが個性と思われがちだけど、「同じことやってもその人と分かるのが個性」という方が、創作には合っている気がする。『桃太郎』題材で宮崎駿と富野由悠季と押井守と庵野秀明が撮ったら、全部違うでしょう」というツイートが興味深くて、押井守版の桃太郎について考えていました。
 ルパン三世の仕事がきた際、まず「ルパンに虚構を盗ませる」話を考案したり、実際にルパンpart6の脚本を担当した時は、「ルパンと次元がヘミングウェイについて語りまくる回」や「不二子が上位存在により時間をループしたようにもとれる回」を書きましたからね。そりゃもう個性出まくりですよ。
 桃太郎の場合は、まずギャグメインのTV版「桃太郎」から雰囲気が一転(TV版の方はレトロゲーパロや老婆による映画蘊蓄が多めで人を選ぶ)、群青色のどんよりした画面が続き、川井憲次の曲に合わせて鬼ヶ島の風景を描写。その後、鬼たちによる鬼ヶ島内の政治問題が議論され、青白いモニターに照らされたインテリ系鬼による「戦争の意義」が語られる。一方、桃を拾った老夫婦が「鬼でなく人間として生きることの証明」についてブレードランナーを引用しながら主張しつつ、終盤でようやく桃太郎が島へ乗り込み鬼を退治。ラストでおともの犬が虚無に向かって吠えることで、「桃太郎とは人間の歪んだ正義が生み出した虚構ではないか?」と考察されるオチが原作ファンから賛否両論……みたいになって欲しい。本人ならば僕なんかの千倍濃密な展開にするでしょうけど。こうして特徴を並べられるのだから、やはり有名監督の個性ってすごいんだなぁ。


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