一口エッセイ:幸福の定義とか
久々にラブレターに回答します。一番上にあったのが、通信制に通う女子高生からだったので、今回はそれで。またえらそうに自分の考えを述べて気持ちよくなるぞ!
一つ一つ回答していきましょう。長文なれども話の筋ができているから答えやすくて良いね!
まず、「通信制の女子高生です。通信制の理由は元カレに全部狂わされました。全部あいつが悪い」とのこと。これは、中島みゆきの詩を引用すると「憎むことでいつまでも あいつに縛られないで」ですね。憎い相手には復讐しないと気が済まないのもわかりますが、現実で「復讐」や「勧善懲悪」なんて都合のいいことめったに起きません。低確率の奇跡を信じるよりは、さっさと忘れた方が効率的なんですね。まあそう簡単に捨てられないから執念なのですが、「忘れた方が早い」と他でもない中島みゆき程の女性が書いているのだから従った方が良いと思います。実際、クロマティ高校の一話レベルのことでもなければ、進路の決定は自分にも責任あるしね。僕も沖縄で最も底辺な工業高校ですから偏差値は変わりません。勉強や進学なぞ諦めて、教科書の代わりに、アニメや漫画を堪能しましょう。
次、「特別好かれもしないし、アイドルにもなれないし、アイドルから認知もされない。誰にも必要とされない」とのこと。誰にも必要とされないのはつらいですね。究極、人生で一番求めるものって他者からの信頼や必要ですから。お金はあくまで信頼などを得る手段なので。「お金」そのものが好きなモンスターもおりますが。とはいえ、高校生なんてそんなもんじゃないですかね。なんなら「10代」ってだけで確実に価値があります。若いだけで得られる恩恵は無限にあるので、それを利用すれば自ずと価値は生まれます。これは誰でもそうです。具体的には、家族でも親戚でもなんでもいいので、一回り以上うえの人間に弟子入りすることです。大人は若者に偉そうに振る舞うことで快感を得ます。メイクでもサブカルチャーでもゲームでもイラストでもなんでもいいので、「教えてください♪」って連絡すれば、たいていの大人はその気になって乗ってきます。いま僕もこうして答えているように。
逆に、僕は高校生の頃はそれすらしなかったので、完全な無価値でした。偏差値底辺のキモオタのガキ。さらには片親の貧困家庭。インターネット上にアカウントも無い。自分のことはすべて諦めていたので、アニメや漫画・ゲームが生き甲斐でした。今もそうか。人生のイベント具合でいうなら、「元カレ」なる存在と恋愛や人間関係を築いた質問者の方が僕より遥かに上なんですね。工業高校だから女子居なかったし。美少女ゲーム以外で女性と会話する機会ありませんでしたよ。でも、ヒロインたちと駆け巡った日々は幸せでした。そんなものだと思います。「なんのために生きてますか?」に答えると、学生の頃は美少女ゲーム、今は美少女よりも映画・読書寄りかもしれませんね。あと特撮はずっと好き。つまり「自分」より先にコンテンツを優先しているんです。自分の人生がクソつまらなくても、アニメは楽しい。そういう生き方もあると思います。
「にゃるらさんは幸せですか? 幸せってなんですか?」は難しいですね。「幸福」の定義に関する本は何冊か読みましたが、決定的な答えはありません。他人と比べて優越感を得ることが相対的に幸せとしたり、なにか経験を積むことが幸せであると定義したり、他人から褒められた瞬間こそ幸福としたりとか。または、そのすべて。哲学者によっては「悩みのない平穏な状態」を幸福と呼ぶ人も。
二千年間答えがなかったものを、僕が定義できるわけもない。なので、「幸せってなんですか?」は難しい。「幸せですか?」に関しては、上記の通り「好きなコンテンツに触れている瞬間は間違いなく満たされている」状態です。幸せになりたいのであれば、「満たされる」ことは必須条件。「自分」を基準にしてしまうと、成功体験や恋愛などが入ってたいへんなので、「鑑賞」を基準にしてしまえば、自分と関係なく面白い映画や本を貪るだけで幸せになれるんです。これは、とても楽ですよ。そして、若ければ若いほど作品から得られる刺激は大きい。率直に言って羨ましい。
といったところでしょうか。まとめるなら、「若さ以外に価値がある高校生の方が確実に少ないのだから、気にせず生きていた方が幸せなんじゃないか」ですかね。大丈夫、高校生の頃の僕も誰にも一切必要とされてない無価値のカスでしたから、みんなそんなものです。
気楽にいこうや。
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