なぜ僕が海外Vtuberの翻訳に強い興味があるか 言葉の感性のお話
翻訳に興味ありまくりなので、自分が考えていることを書いていこう。すべて独学かつ偏見なので好き勝手に書くが、ここは僕の日記帳であって何より自由なのだから、あなたたちは勝手に読むからには前提を納得せねばならない。
上記の文章は、わざと翻訳の硬さを理解してもらいたくて堅苦しい言い回しにした。機械翻訳で何が起きるか。まずは「リスク回避」が行われている。乱暴な言葉をそのままお出しすると齟齬が生まれるので、程よく穏当に遠回しに書かれる。教科書通りに、敬語で。
敬語というのが日本語のおもしろポイントです。個性、国民性かもしれませんね。英語は基本的にニュアンスで敬語かタメ語かを判断している。敬語の概念に近い丁寧な言い回しはあるけどね。たとえば Welcome to underground.とネットスラングが書いてあった場合、「深淵の底へようこそ」「来てはいけないとこへ来ちゃったね」など、誰がどの立場で話しているかを含めて正解が異なる。どれだけ砕けているか、小粋な言い回しなのか。はたまたお堅くビジネス的か。
最も丸い選択肢はお堅く教科書通りである。「私はペンを持っています」「あなたと昼ごはんへ行きたいです」。でも、実際に子供たちは「ペンあるよ!」「ご飯行くぜ!」と喋っているのでしょう。そこまで読み取るのはたいへん難しく、それは学習でなくセンスが要る。なので変に揉めない無難な答えとして何でも敬語で真面目そうにお出しする。
翻訳はセンスでしかない。英単語の意味やスラングはググればわかるのだから。書いてある、話している人の意図をどれだけ真摯に、ユニークに伝えられるかの世界で、それは責任が重い。
僕が感動したのは、ホロライブEN、guraたちが「oh〜nyo〜」と、オーノーを美少女キャラクターらしくふざけて喋っている様子を、「にゃんてこった!」と訳した萌え侍が居たことだ。
「お〜にょ〜」なんて言葉の訳に正解は無い。が、誰より「萌え」に真剣な男が、彼女たちの愛らしさを日本人にできるかぎり忠実に伝えようとした結果、「にゃんてこった!」が出てきた。これは紛れもなく本物の愛だ。僕は、ぐらとアメリアさんの二人が仲良く喧嘩している様子を愛している。
美少女キャラクターの話し方、特にスラング混じりのVtuberの翻訳は修羅の道だ。彼女たちの言葉の印象は、翻訳者、切り抜き師の言語センスに委ねられている。多くの人は、ぐらの言葉を見た目通り子供らしく訳すが、実は彼女は誰より詩的な言い回しをすることが多い。シンプルにジョークのセンスも抜きん出ている。そりゃ世界一の座、ミームのクイーンであるのも頷ける。彼女はゲーム内で車の運転中、「その曲嫌いだから変えてくれ」というコメントを拾い、「いま運転座席に居るのは誰だ? ママがハッピーセット買ってあげますから黙ってろ」と返す。このキレキレなジョークの持ち味をいかに殺さず訳すか(というかさっきの訳もだいぶ僕の意訳だ)、これは知識でなくセンスで、敢えていうなら愛かもしれない。
なんなら英語圏から日本向けに翻訳切り抜きを出すオタクもいる。だいたい日本語の精度がめちゃくちゃで再生数は伸びないのだが、切り抜く場所のチョイスは最高だ。なぜなら「俺たちの国にはこんな素敵な女がめっちゃ面白いこと言ってるんだぜ」と、わざわざ英語を拙い日本語にしてまで布教しにやってきているのだ。数字的な伸びやすさ、撮れ高を無視した、ただただキャラクターへの愛情だけが込められている。
自分たちの素晴らしい文化を布教するため、わざわざ海を越えてやってきた愛の伝道師たち。現代のザビエルだ。彼らは信仰する神(=がうる・ぐら)の言葉をみんなに教え、みんなでいっしょに楽しむためにやってくる。僕らは愛を持って彼らを歓迎すべきでしょう。
そんな諸々を含めつつ、まずは彼女たちが何を話しているか、何を言いたいかを、誰かの翻訳を通さず直接理解しようと試みるのは、非常に健全な同期かつ、何よりの勉強法だ。海外のオタクが「アニメで日本語を覚えた」は最も賢く効率がいい。好き、以上の原動力なんて必要がない。
ちなみに拙作ニディガのローカライズは各国で絶賛されている。それは翻訳チームの努力の賜物で、現在の世界的人気に大きく貢献している。その翻訳精度は彼らによるオタクカルチャーへの愛情の結晶に他ならない。
つまるところ、なんで僕が翻訳なんかに急に興味を持ったり拘り出したかは単純である。
僕はぐらが、アメリアが、イナニスが、誰のフィルターも通さない等身大の、どんな素敵な言葉を話しているか、自分の目と耳で知りたかっただけだよ。
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